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『太田かるた』絵札・読み札一覧さ行

4 質の高い教育をみんなに11 住み続けられるまちづくりを
ページID:0002702 更新日:2022年12月6日更新 印刷ページ表示
さ行
絵札 読み札 解説
さ絵札の画像 さ読み札の画像 八瀬川は新田堀の太田樋を源流として、金山西部を南下し、石田川と合流する一二キロメートル程の一級河川です。そのうち本町通りの永盛橋から大光院南方の新島堰まで一キロメートルほどの両岸に、昭和初期の河川改修に伴って桜の木が植えられたました。現在一五〇本程の桜の木(ソメイヨシノ)があり、四月上旬には花が川面をおおいます。春には市民の花見客でにぎわいます。
し絵札の画像 し読み札の画像 太田市市民憲章は平成十八年三月二十八日に一市三町の合併一周年を記念して制定されました。市民憲章とは郷土を愛し、自分たちのまちを住みよい幸せなまちにするための市民参加のまちづくりの「行動指針」です。この市民憲章は「自然と歴史文化」、「教育と人権」、「協働と参画」、「相互扶助と安心安全」、「環境と産業」を五本の柱として、太田市市民憲章普及推進委員会が中心となって普及と実践活動に取り組んでいます。
す絵札の画像 す読み札の画像 かかしは、またカガシ(「嗅がし」の意か)ともいい、獣肉などを焼いて鳥獣を寄せ付けないようにしたり、竹や藁などで人のかたちを造り田畑に立てて、農作物を鳥獣の害から守る方法の総称と言われています。農作物に害を与える悪霊を追い払う山の神の依代と考えてこれを祭ったというのがかかし祭りの由来です。藪塚地区では、毎年秋になると三島神社公園及びその周辺でかかし祭りが実施され、大勢の人々でにぎわいます。
せ絵札の画像 せ読み札の画像 中島知久平は明治十七年(一八八四)旧尾島町押切に生まれ、軍人を志して上京、苦学して海軍機関学校を明治四十年(一九〇七)に卒業しました。早くから飛行機の軍用性に着目し、大正六年(一九一七)旧太田町入太田に「飛行機研究所」を開設、同八年「中島飛行機製作所」と改称し、飛行機の国産化に専念しました。昭和五年政界に進出し政友会から立候補、初当選以来連続五回当選、衆議院議員として活躍しました。その間政友会総裁、鉄道大臣・軍需大臣(商工大臣)などを歴任しました。中島飛行機製作所で造られた有名な飛行機には隼・鐘馗・呑龍・疾風・月光・零戦などがあります。
そ絵札の画像 そ読み札の画像 小学生・中学生向けに、それぞれ「あすの太田っ子を育てる親への一二の提言」を掲げ、豊な心を持ったたくましい太田っ子の育成を目指し、これまでの知識を重視した教育から、子どもたちに自ら学び考える力を育成する教育へ転換を図ってきました。家庭教育学級「太田っ子ゼミ」では就学前幼児の親を対象に講座が開かれ、子どもたちに対しては自然体験事業「太田っ子まつり」が行われました。未来の太田は太田っ子の力で飛躍します。