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焼そばのまち

由来

 中島飛行機から現在の富士重工にいたるまで、日本を代表する工業の町として栄える太田。一見無関係に思えるこの工業が、太田に焼そばを根付かせる原因となりました。
 太田に焼そばが広まったのは戦後。ラビットスクーターやスバル360などのヒット商品を生み出していた富士重工や関連工場には、東北地方からの多数の人が出稼ぎに来ました。東北には古くから焼そばが存在し、その中には、現在も焼そばの街として名乗りをあげている秋田県横手市があり、この人達が太田に焼そばを持ち込んだのでは、とされています。また焼そばは、安くてボリュームがあり、汁が無いのでのびることなく、いつでも気軽に食べられるところが、工場で働く人たちに受け入れられた要因でもあるのでしょう。昭和20~30年代には、「子育て呑龍」で知られる大光院の参道に、屋台をはじめ数多くの焼そば屋があったそうです。

 ※味についてのご意見・感想については、個人的な嗜好が入っていますので、是非、皆さんの舌で味わってみてください。

上州太田焼そばのれん会

 太田市観光協会が中心となり、焼そばの街太田を全国にPRしようと、平成14年10月28日に「上州太田焼そばのれん会」が発会しました。会の主な活動内容は、やきそばマップの作成、イベント出店による太田市のPRです。会員数は現在55店舗です。また、全国に3つしかない「焼そばの街」秋田県横手市・静岡県富士宮市・太田市が、三国同麺を結び、交流も盛んに行われています。

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