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岩松尚純夫妻の墓

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ページID:0004509 更新日:2022年12月6日更新 印刷ページ表示

岩松尚純夫妻の墓  岩松尚純(いわまつひさずみ)は、2代金山城主で、後に下克上により家宰(かさい)の横瀬氏(よこぜし)に退けられ、岩松に閑居し、静喜庵(じょうきあん)と号し、その生涯を連歌の道に生きた人物です。夫人の秋吟尼は、佐野氏(栃木県佐野市)の出身で夫とともに岩松に移り住みました。
 岩松尚純とその夫人の秋吟尼の墓(五輪塔)は、青蓮寺の200m東にある尚純萩公園の中、約4m四方の方形の盛土上にあります。
 北に向って右側の五輪塔は尚純の墓で、空・水輪部分が欠損しています。左側の五輪塔は尚純の夫人、秋吟尼の墓で、空輪の部分がありません。
 なお、公園内には、尚純が詠んだ「奈天徒具寸袖可 岩本乃朝霞 郭公月耳以左 与不雲間哉 風未多天露丹 於良連与萩可花(なでつくすそでか いわほのあさかすみ ほととぎすつきにいざ よふくもまかな かぜまたでつゆに おられよはぎがはな)」の歌碑が建っています。

指定区分 市指定史跡
指定年月日 平成3年4月25日
合併に伴い、平成17年3月28日に改めて新市の文化財として指定されました
所在地 太田市岩松町661-2 尚純萩公園内