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金山城跡の概要

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ページID:0004378 更新日:2022年12月6日更新 印刷ページ表示

金山城跡大手虎口  金山城跡(かなやまじょうあと)は、独立丘陵となる金山(標高239m)の四方にのびる尾根を利用して造られた山城です。山頂部の実城(みじょう)を中心として北には北城、西方には西城、また南には八王子山ノ砦などが配置されています。昭和9年に山頂部周辺の18.3ヘクタールが指定され、その後平成14年9月20日に追加指定されたため、史跡全体の面積は97.8ヘクタールとなっています。
 金山城は平安時代末期の新田氏が防御施設として構築したとも伝えられていますが、その歴史は文明元年(1469)に新田氏の後裔、岩松家純(いわまついえずみ)の命により築造されたことに始まったと考えられています。最初に金山城主となった岩松氏は下剋上によって横瀬氏(後に「由良」と改姓)と交代し、その後北条氏の支配となりましたが、豊臣秀吉による小田原北条氏攻めによる北条氏の敗北によって、金山城も天正18年(1590)に廃城となりました。
 現在の整備は、戦国時代の後半に造られた城内を再現したものですが、山中の至るところに約120年ものあいだ落城することのなかった金山城の痕跡が、石垣や堀切、土塁として今でも残されています。

金山城跡の概要と関連する指定文化財一覧
金山山頂の日ノ池の画像
金山山頂の日ノ池

金山の遠景
金山の遠景(中央が金山)

指定区分 国指定史跡[城館跡等]
指定年月日 昭和9年12月28日
平成14年9月20日(追加指定)
所在地 太田市金山町40-106ほか
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