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木崎音頭

4 質の高い教育をみんなに11 住み続けられるまちづくりを
ページID:0004501 更新日:2022年12月6日更新 印刷ページ表示

木崎音頭  木崎音頭(きざきおんど)は、戦前は木崎節と言われ、夏の盆踊りに唄われました。手ぬぐいで頬かぶりし、うちわで顔をかくし、「雨が3年日照りが4年」と囃子に合わせて唄われ、一節歌うごとに一廻りして次の文句を歌う流調な節回しでした。木崎地区は日光例幣使道通行の際に大勢の若者が宿泊を余儀なくされ、旅籠屋ができ遊興の地となり、越後から多くの子女が奉公という名目で身売りされ飯盛女として苛酷な生活をしいられました。彼女たちはこのさびしさから、故郷や家族をしのび、宴席で子供の頃覚えた歌を歌ったのが木崎節の始まりと言われています。
 当時の歌詞は卑俗でしたが、戦後東京音頭が全国にヒットしたことから音頭と付く歌がはやり、その流れで木崎音頭へと変わり、踊りの振り付けや歌詞も昔からの節廻しを失ってしまいました。
 八木宿(栃木県足利市に所在)で生まれた堀込源太は木崎節を風土に合わせた威勢のよい節に替えて、生地の八木をとって八木節としたと伝えられています。源太は「源太一座」を組織し、周辺各地で興業し好評を博したといわれています。木崎節が八木節の元唄であることは、多くの民謡研究家にも認められています。

指定区分 市指定重要無形民俗文化財
指定年月日 平成9年3月31日
合併に伴い、平成17年3月28日に改めて新市の文化財として指定されました
所在地 太田市新田木崎町1215-1(木崎公民館)