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久保田家文書

4 質の高い教育をみんなに11 住み続けられるまちづくりを
ページID:0004453 更新日:2022年12月6日更新 印刷ページ表示

久保田家文書 江戸時代の花香塚村と隣接する渕名村とでは、間に早川をはさんでいることから、水利用についての争いが絶えませんでした。
 渕名村の水田は4町歩であるのに対し、花香塚村は25町歩でした。早川を堰留めして明六ツから暮六ツまでの昼間は渕名村が引水し、暮六ツから明六ツまでの夜間は花香塚村が引水する取り決めでした。しかし、田植え時には、上流に位置する渕名村が地理的に有利であったため、取り決めを無視して騒動となりました。
 嘉永6年(1853)3月の早川用水堰からの引水取り決め違反の訴状をはじめ、安政2年(1855)、安政4年(1857)にも訴訟を起こしています。このような水騒動に関する文書が12点保管されています。
 上の文書は、江戸幕府評定所の門前に設けられた目安箱に訴えられたもので、評定所へ出頭しなさいという幕府要職の裏書が書かれています。

指定区分 市指定重要文化財[古文書]
指定年月日 昭和52年3月29日
合併に伴い、平成17年3月28日に改めて新市の文化財として指定されました
所在地 太田市新田花香塚町