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岩之堂出土の板碑

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ページID:0004466 更新日:2022年12月6日更新 印刷ページ表示

岩之堂出土の板碑  この板碑は、昭和42年(1967)新田大根町に所在する岩之堂墓地から出土しました。この他にも「徳治二年(1307)10月」、「正中二年(1325)」、「建武四年(1337)」など紀年銘の確認できる板碑が同墓地から出土しています。
 緑泥片岩製で完形に近く、保存状態は良好です。高さ92cm、幅26cm、厚さ約3.5cmで、頭部の山形はやや高く鎌倉末期から南北朝時代の特徴を示し、形状は良く整っています。
 碑面は上部に二条の斜刻と、その下部周囲を細い刻線で縁取り、中央部にキリーク(阿弥陀如来)、右下にサ(観音菩薩)、左下にサク(勢至菩薩)の阿弥陀三尊がそれぞれ蓮台の上に刻まれています。下部中央に「観応三壬辰(1352)七月二十一日」の紀年銘があります。陰刻された刷毛書は典型的な鎌倉梵字で、風化が少なく、彫られた当時の状態が良く観察できます。背面にも素材を整えたノミの刃跡が明瞭に残っています。
 板碑は、簡略形式の塔婆として鎌倉時代に流行し、主に関東一円に顕著な広がりを見せました。その要因に、素材として使用された緑泥片岩(秩父地方の産出)があり、一般に武蔵型板碑と言われています。

指定区分 市指定重要文化財[考古資料]
指定年月日 昭和49年9月1日
合併に伴い、平成17年3月28日に改めて新市の文化財として指定されました
所在地 太田市新田大根町