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紙本墨画岩松尚純像

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ページID:0004381 更新日:2022年12月6日更新 印刷ページ表示

紙本墨画岩松尚純像 岩松山義国院青蓮寺(がんしょうざんぎこくいんしょうれんじ)は、源義国が開基となり、源佑が創建したと伝えられていますが、詳細は不明です。当初は律宗の寺院でしたが、岩松氏3代の政経(青蓮寺殿と諡号)が、弘安年中に時宗二祖他阿真教の関東布教の影響を受けて時宗に改め、中興開山したといわれています。
 紙本墨画岩松尚純像(しほんぼくがいわまつひさずみぞう)は、縦79.5cm、横35.5cmの掛軸装で、作者は岩松尚純(1461~1511)自身です。図柄は、上部に尚純の連歌があり、あぐらをかいて座する自画像が描かれています。また、文亀元年(1501)の年号がある落款(らっかん)が記され、県内に類例のない中世の武人像といわれています。岩松尚純は、新田・足利両氏の系譜を嗣ぐ岩松時兼(いわまつときかね)を祖とする岩松氏第14代の武人で、太田金山城第2代城主となり、明応4年(1495)城を子の昌純に譲り、当町岩松の地に隠居して静喜庵(じょうきあん)を構え和歌・連歌に没頭しました。尚純は、武人というよりは連歌に秀でた文人として知られ、「連歌会席式」・「池水草」等の著書があります。

青蓮寺の概要と関連する指定文化財一覧

指定区分 県指定重要文化財[絵画]
指定年月日 昭和56年5月6日
所在地 高崎市綿貫町992-1(群馬県立歴史博物館寄託)