ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

毛呂権蔵の墓

4 質の高い教育をみんなに11 住み続けられるまちづくりを
ページID:0004251 更新日:2022年12月6日更新 印刷ページ表示

毛呂権蔵の墓  毛呂権蔵(もろごんぞう・1724~1792)は、上野国全般にわたる歴史地理書「上野国志(こうずけこくし)」や「長楽寺記」を著した、江戸時代の郷土史学の先駆者です。権蔵は字(あざな)で、名は義郷(よしさと)といい、享保9年(1724)世良田堀之内(ほりのうち)屋敷に生まれました。権蔵は、群馬県内全体のまとまった歴史地理書や風土記が無いことから、自分の手足・私財を投じて歴史地理書をまとめることを志し、安永3年(1774)に「上野国志」15巻を完成させました。「上野国志」は、史料の収集だけでなく、30年の歳月をかけて現地調査を行い、地元の人々の話を聞きながらまとめたもので、現在でも貴重な資料です。「上野国志」稿本は、市重要文化財に指定されています。

毛呂権蔵の概要と関連する指定文化財一覧

指定区分 県指定史跡[墓所]
指定年月日 昭和26年4月24日
所在地 太田市世良田町1116 普門寺墓地内