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縁切寺満徳寺遺跡

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ページID:0004395 更新日:2022年12月6日更新 印刷ページ表示

縁切寺満徳寺遺跡  徳川満徳寺(まんとくじ)は、江戸時代に鎌倉東慶寺(とうけいじ)と並んで女性を救済するという縁切りの特権を認められた尼寺です。満徳寺の由緒書等によれば、鎌倉時代、徳川氏の祖新田(世良田・徳川)義季(よしすえ)を開基とし、義季の娘浄念比丘尼(じょうねんびくに)を開山として創建されたと伝えられます。代々の住職は新田氏一族の子女が住持となりました。新田氏の衰退と共に荒廃していきましたが、天正19年(1591)徳川家康より徳川郷内に朱印地(しゅいんち)100石を拝領し、衰退していた寺を復興させました。大阪夏の陣(1615)の後、2代将軍徳川秀忠の娘千姫が豊臣家と縁を切るために入寺(実際は待女が入寺)し、離婚後再婚した例にならい、縁切寺法の特権が幕府に容認されたと伝えられます。明治5年(1872)廃寺となりました。現在、縁切寺満徳寺遺跡公園として、本堂・門・庭園等を復元し、資料館を開設して一般公開をしています。

縁切寺満徳寺資料館ホームページ

指定区分 県指定史跡
指定年月日 昭和31年6月20日
平成2年9月25日追加
所在地 太田市徳川町382-2