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長楽寺宝塔
長楽寺(ちょうらくじ)の境内に文殊山と呼ばれる前方後円墳があります。この古墳の後円部頂上にある石塔群は、長楽寺の開基であり徳川氏の始祖である義季(よしすえ)以下、徳川氏累代の墓所と伝えられています。この墓所には16基の石塔があり、国指定の宝塔(ほうとう)はこの中のひとつです。
群馬県内には多数の宝塔がありますが、現在、鎌倉時代と推定されるものは13基と少なく、石塔に鎌倉期の銘のある宝塔は2基しかありません。その内のひとつが長楽寺の宝塔です。
この宝塔には基礎底面に鎌倉時代の物と示す次の銘文がありました。
敬白(けいびゃく)
奉造立多宝石塔(ぞうりゅうしたてまつるたほうせきとう)
右所造立如件(みぎぞうりゅうするところくだんのごとし)
建治二年(1276)丙子(ひのえね)十二月二五日
第三代住持比丘院豪(びくいんごう)
昭和6年に墓地周囲の石垣を造る際、傾いていた宝塔を整備しているとき基礎の底面に鎌倉時代のものと示す上の銘文が偶然発見されたもので、文献や伝承も無く全く知られていなかったものでした。
宝塔は、天神山凝灰岩(てんじんやまぎょうかいがん)製(みどり市笠懸町産出)で、現在相輪は失われていますが、屋蓋以下は現存しています。屋蓋上部から基礎底面までの高さは187.1cmで、地上に直接建立されたものです。
宝塔の造立者一翁院豪(いっとういんごう)は寛元2年(1244)に宋へ渡り、帰朝後の正嘉2年(1258)に長楽寺第3世住職となりました。以来24年間住職として務め、弘安4年(1281)長楽寺で没し、朝廷より円明仏演禅師(えんみょうぶつえんぜんじ)の諡(おくりな/生前の功績をたたえて贈る名号)を贈られた高僧です。
指定区分 | 国指定重要文化財[建造物(石造文化財)] |
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指定年月日 | 昭和36年3月23日 |
所在地 | 太田市世良田町3119-4 |