ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

永福寺の名号角塔婆

4 質の高い教育をみんなに11 住み続けられるまちづくりを
ページID:0004406 更新日:2022年12月6日更新 印刷ページ表示

永福寺の名号角塔婆  永福寺の山門を入って右側にあります。ほぼ完全な形で残っており、高さ99cm、幅26cmで、台石・反花座上に造られています。2面には「南無阿弥陀佛」の六字名号が刻まれ、他の2面には追刻があります。
 名号角塔婆は浄土宗を信仰する者によって造立された角柱形の供養塔で、碑面に「南無阿弥陀佛」の六字名号が刻まれています。同じ種類の供養塔に板碑がありますが、板碑が関東を中心に全国的に分布するのに対し、角塔婆は他地域ではほとんど見られず、群馬県東部の旧山田郡内の一部(現在の太田市北東部から桐生市南部・大間々町東部にかけて)に35基確認されているのみです。天神山凝灰岩(みどり市笠懸町産出)で造られています。
 造立された時期は、鎌倉時代後期から室町時代初期で、造立者は、当時「薗田(園田)御厨」と呼ばれたこの地域を支配し、浄土信仰にも帰依していた薗田(園田)氏一門と考えられます。これは藤原秀郷から9代あとの薗田成家が大番役で在京中、法然上人に帰依し、智明房と称し、後に桐生川内の小倉山で庵を結び、当地方の浄土信仰定着に大きな影響を与えたことによると考えられています。

指定区分 市指定重要文化財[建造物(石造物)]
指定年月日 平成6年12月12日
合併に伴い、平成17年3月28日に改めて新市の文化財として指定されました
所在地 太田市東金井町7-1 永福寺