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富若の名号角塔婆

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ページID:0004407 更新日:2022年12月6日更新 印刷ページ表示

富若の名号角塔婆  富若の春日神社から北へ延びる小径脇にあります。六字名号の直上部分を欠いているため、本来の高さは不明です。幅は28cmあります。4面に「南無阿弥陀佛」の六字名号が刻まれているほか、正面には「永仁五年(1297)」の紀年銘も刻まれています。
 名号角塔婆は浄土宗を信仰する者によって造立された角柱形の供養塔で、碑面に「南無阿弥陀佛」の六字名号が刻まれています。同じ種類の供養塔に板碑がありますが、板碑が関東を中心に全国的に分布するのに対し、角塔婆は他地域ではほとんど見られず、群馬県東部の旧山田郡内の一部(現在の太田市北東部から桐生市南部・大間々町東部にかけて)に35基確認されているのみです。天神山凝灰岩(みどり市笠懸町産出)で造られています。
 造立された時期は、鎌倉時代後期から室町時代初期で、造立者は、当時「薗田(園田)御厨」と呼ばれたこの地域を支配し、浄土信仰にも帰依していた薗田(園田)氏一門と考えられます。これは藤原秀郷から9代あとの薗田成家が大番役で在京中、法然上人に帰依し、智明房と称し、後に桐生川内の小倉山で庵を結び、当地方の浄土信仰定着に大きな影響を与えたことによると考えられています。

指定区分 市指定重要文化財[建造物(石造物)]
指定年月日 平成6年12月12日
合併に伴い、平成17年3月28日に改めて新市の文化財として指定されました
所在地 太田市富若町534