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正法寺の仁王門並びに仁王尊
脇屋山正法寺(わきやさんしょうぼうじ)は高野山真言宗の寺で、寺伝によると、山城国醍醐寺開山の聖宝が源経基の請願を受けて延喜年間(901~923)に開山し、古くは聖宝寺と呼んだと伝えられています。元暦年間(1184~1185)に新田義重が堂塔を修理し、元弘年間(1331~1334)には脇屋義助が脇屋郷及び大般若経600巻を寄進したと伝えられ、脇屋氏の菩提寺ともなり、境内には義助の遺髪塚があります。江戸時代に火災に遭い、脇屋館跡のある観音免から移転したといわれています。
仁王門(におうもん)は、間口5間、奥行4間の重層楼門入母屋(じゅうそうろうもんいりもや)造りの桟瓦葺(さんがわらぶき)です。正面下層中央は通路になり、両側には仁王尊(におうそん)を安置しています。
二階には、高欄つきの回縁がついています。貞享2年(1685)に建立、享和3年(1803)に改築されたと伝えられ、現在の門は昭和28年に解体、基礎の打ち直しを行い、茅葺(かやぶき)であったものを桟瓦葺に葺替えしたものです。東毛地方では古い仁王門に属し、江戸時代の特徴を伝えています。
仁王尊は共に2.6m程の木像で、彩色されています。金剛力士像とも呼ばれ、寺門の左右に立って仏法の護持に当たり、右側は開口し「阿」(あ・物事の始まり)を、左側は閉口し「吽」(うん・物事の終わり)を表現しています。写実的な彫刻技法には中世の作風がうかがえますが、昭和63年の解体修理の際、顔面裏側の銘文から、貞享2年(1685)、京都の大仏師左京入道(だいぶっしさきょうにゅうどう)勅法眼康祐(ほうげんこうゆう)の作と確認されています。
正法寺の仁王尊
指定区分 | 市指定重要文化財[建造物(建築)] |
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指定年月日 | 昭和54年1月18日 合併に伴い、平成17年3月28日に改めて新市の文化財として指定されました |
所在地 | 太田市脇屋町甲562 正法寺 |