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高山彦九郎宅跡附遺髪塚

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ページID:0004380 更新日:2022年12月6日更新 印刷ページ表示

 高山彦九郎は、延享4年(1747)5月8日、新田郡細谷村(細谷町)に農民の子として生まれました。江戸時代末期の尊王倒幕運動の先駆者で、幕末の志士に大きな思想的な影響を与えました。林子平・蒲生君平と共に寛政の三奇人(この場合の奇人とは傑出した人物の意、三奇士とも言う)と言われます。彦九郎は反幕府的な思想を持ち、尊王を高唱し、全国の各界各層の人々と交わり遊説を重ねましたが、幕府の追及を受け、寛政5年(1793)筑後国久留米(福岡県久留米市)で自刃しました。
 明治11年(1878)、金山南麓の天神山に高山彦九郎を祭る高山神社が造られました。
 生家跡は現在畑となり、井戸・生垣・堀跡等に面影を残しているのみです。遺髪塚は本家である蓮沼家宅地をへだてた西側墓地内にあります。

 平成8年、史跡隣接地に高山彦九郎記念館が開館しました。
高山彦九郎宅跡
彦九郎宅跡

遺髪塚の画像
遺髪塚

指定区分 国指定史跡
指定年月日 昭和6年11月26日
所在地 太田市細谷町1324-2ほか