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浄光寺の五輪塔

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ページID:0004402 更新日:2022年12月6日更新 印刷ページ表示

浄光寺の五輪塔  瑞蓮山浄光寺は、寺伝によると天台宗の寺でしたが、天正12年(1584)、小田原の北条氏による金山城攻撃の際、兵火にかかり焼失、その後、舜庵全尭大和尚が再建し、曹洞宗に改宗したと伝えられています。
 一般的に五輪塔は、下から順に基礎(地輪)・塔身(水輪)・笠(火輪)・受花(風輪)・宝珠(空輪)の五つの部分でできています。浄光寺の五輪塔は、総高150cm前後の4基が本堂西の墓地内にあり、いずれも天神山凝灰岩(みどり市笠懸町産出)で造られています。現在は風化により判読できませんが、右端の五輪塔地輪部の中央に「アー」の梵字、右側に「蓮生幽儀助信□霊」の銘文があったといわれています。江戸時代に著された『上野国志』によると、浄光寺は藤原秀郷流の舞木氏の開基とされ、「幽儀助信」は当寺中興の祖、新田小四郎義忠の法名とされます。また、薗田氏の墓とする説もあります。
 かつては、「元弘三年(1333)癸酉二月廿九日」の紀年銘も見られましたが、今では梵字以外は判読が困難です。市内に現存する紀年銘のある五輪塔のうち2番目に古く、他の3基も共に同一年代頃の造立と推定され、中世石造美術の優品として貴重なものです。

指定区分 市指定重要文化財[建造物(石造物)]
指定年月日 昭和48年10月24日
合併に伴い、平成17年3月28日に改めて新市の文化財として指定されました
所在地 太田市龍舞町1765 浄光寺