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総持寺木造不動明王立像

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ページID:0004254 更新日:2022年12月6日更新 印刷ページ表示

木造不動明王立像 威徳山陀羅尼院総持寺(いとくさんだらにいんそうじじ)は真言宗豊山派の寺で、寺伝によると、正平年間(1346~1370)に慶範が、館坊・岩松真光寺・清泉寺の三カ寺を統合し、真光寺と称しました。その後、慶賢が総持寺と改称したと伝えられています。
 木造不動明王立像(もくぞうふどうみょうおうりゅうぞう)は新田氏の祖とされる新田義重(1135~1202)が館の一隅に建立した護摩堂(ごまどう)の本尊であったといわれていますが、これを証する資料は残っていません。総高は100.1cm、頭・体の根幹部は足枘間で含めて一材から彫り出して、内刳を施さない一木造りですが、左臂(ひじ)前から先、及び左足先は別材で、はぎつけられています。
 総髪で毛筋彫りを施し、左耳前から左胸にかけて弁髪を垂らしています。眉根を寄せ、両眼とも大きく見開き、忿怒(ふんど)の表情を示しています。像の前面で裳裾(もすそ)を膝までたくし上げて、両膝から下を露出しています。
 延宝6年(1678)の光背裏墨書銘によれば、この像は覚鑁上人が自ら刻んだものと伝えていますが、信憑性に乏しいと判断されています。平安時代後期(11世紀後半)の作と推定され、県内では11世紀まで遡る木彫像は極めて少なく貴重な像です。

総持寺の概要と関連する指定文化財一覧

指定区分 県指定重要文化財[彫刻]
指定年月日 平成18年3月24日
所在地 高崎市綿貫町992-1(群馬県立歴史博物館寄託)