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藪塚の舞台襖絵

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ページID:0004430 更新日:2022年12月6日更新 印刷ページ表示

舞台襖絵  江戸時代末から明治初期にかけて、旧藪塚村では村芝居(浄瑠璃)が行われていました。この襖は、当時舞台に使用されていたもので貴重な資料です。
 特にこの襖は、同じく太田市指定文化財である「舞台の袖彫刻(伏島家・中原地区)」を、左右に配して使用されていたものと考えられています。
 襖は12枚有り、その両面に絵画が施されています。使用材は和紙および岩絵具です。

 『郷土史抄(きょうどししょう)』(福田英一著 明治29年刊)によると、「徳川幕末時代から明治にかけて、農村芸術のひとつに旧藪塚村に村芝居が組織されていた。立派な舞台があって、春秋の鎮守様の祭典やお正月には慰安のため芝居を催した。これが唯一の娯楽であったが、藪塚連合村ができた頃にこの舞台は藪塚各字に分配してしまった(後略)」とあります。このときに、舞台の袖を中原・杉塚地区、舞台を湯之入地区、襖を台・滝之入地区に分けたと言われており、この襖絵は台地区に残されていたものです。

 古老の伝承もあり、舞台に使用されていたことは間違いありません。修理に際しても画工の名前はわかりませんでしたが、前出の『郷土史抄』には
「(前略)この頃舞台背景の絵描きとして新井常右衛門翁の名は近隣に聞こえが高かったということである。」とありますが、ことによると一族の新井笠渕ではないかと思われます。

 ※ 台地区内の阿弥陀堂の、土間に保管されていたため保存状態が悪く、平成7年11月22日に台地区から町に寄付されたのを機会に、平成8年11月1日全面修復しました。

指定区分 市指定重要文化財[絵画]
指定年月日 平成8年9月11日
合併に伴い、平成17年3月28日に改めて新市の文化財として指定されました
所在地 太田市大原町505(藪塚本町埋蔵文化財収蔵庫)