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永徳寺の国境争論幕府裁許絵図・裏書

永徳寺の国境争論幕府裁許絵図  河川は、現在のように堤防が整備される以前は、大雨による洪水などにより、氾濫を繰り返してきました。利根川流域には氾濫によって境界が押し流されたことにより、訴訟沙汰が数多く起きています。
 この「永徳寺の国境争論幕府裁許絵図」(裏書)は、寛政2年(1790)12月4日の徳川郷と利根川を隔てた武州榛羅郡中瀬村(現埼玉県深谷市)との間に起こった国境争論の裁許について書かれた資料です。
 この裁許絵図は、紙本で、縦が1.83m横が3.06mあります。表には絵図(彩色)、裏面には裏書(勘定奉行・町奉行・寺社奉行、老中の連署、押印)があります。この当時国境は、利根川の洪水による川欠(洪水により耕作できなくなった田畑)や干潟・干洲などによりしばしば流失し、争論が起こりました。この絵図は、当時の住民の土地に対する権利の主張と、これを受けて勘定・町・寺社の三奉行や老中の裁定の様子が記録されており、この地が利根川と大きな関わりを持ってきたことをうかがわせる貴重な資料です。
永徳寺の国境争論幕府裁許絵図裏書

永徳寺の国境争論幕府裁許絵図裏書

指定区分
市指定重要文化財[歴史資料]
指定年月日
昭和61年7月24日
合併に伴い、平成17年3月28日に改めて
新市の文化財として指定されました
所在地
太田市徳川町甲373 永徳寺

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