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中島家文書

中島家文書  木崎宿は中山道倉賀野宿より分岐する日光例幣使道13宿のひとつで、明和元年(1764)道中奉行の支配するところとなり、宿方三役と呼ばれる問屋・本陣・年寄が設けられ、宿場業務を行っていました。このために木崎宿定助郷36ケ村の人馬の調達や助郷村々への指示などは問屋が行いました。中島家は代々この問屋役を勤めていた関係で、近世の交通事情を解明するための古文書70余点が所蔵されています。
 「木崎宿助郷帳」(写真右)をはじめ、当時の宿場に関する書類として、「木崎宿寄馬之証文」「人馬継立賃銭覚書」「旅籠屋渡世書上」「飯売女関係文書」「宿場役人の任用」などの古文書があります。これらは当時の宿場の活動や動向を知る貴重な資料となっています。
 文久3年(1863)の例幣使の通行には人足7,338人、馬2,815足と記され、苛酷な割当をめぐる「助郷村々の負担軽減の申込議定書」の記録により、宿場の困窮を察することができます。
指定区分
市指定重要文化財[古文書]
指定年月日
昭和52年3月29日
合併に伴い、平成17年3月28日に改めて
新市の文化財として指定されました

所在地
太田市新田木崎町

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