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笠懸野御新田絵図(寛文)・笠掛野御新田絵図(元禄)

 笠懸野御新田絵図(寛文)は寛文11年(1671)に作られた絵図で、徳川幕府岡上景能が笠懸野といわれる現在の新田地区北部・藪塚地区およびみどり市笠懸町の原野の開拓を計画した「線引き絵図」です。絵図は160×104.5cmの大きさで、開拓範囲を百間(180m)四方の碁盤の目のように線引きしています。絵図の周辺部には「小金井新田場」「村田新田場」「市ノ井新田場」「金井新田場」「大根新田場」「上田中新田場」などの地名と地積が書かれています。中央には「足尾海道(足尾銅山街道)」が南北に貫通し、これに沿って41軒の人家が描かれています。また東西方向には「我妻海道(あづま道)」が通っています。もう一方の、笠懸野御新田絵図(元禄)は元禄10年(1697)に絵図師桜井半兵衛が描いた絵図で、寛文11年(1671)の絵図とほぼ同じところが描かれ、計画に基づいた笠懸野新田開発の様子がわかる絵図です。絵図の下部には開発された25の村名が書かれています。中央には足尾海道が南北を貫通し、これに沿って「岡上用水」が見えます。用水は六千石新田の北部で西方に折れ、その末端には貯水池が造られています。ここは現在の新田溜池町で、近年まで土堤の名残がありました。

笠懸野御新田絵図(寛文)

笠懸野御新田絵図(寛文)1671年

笠掛野御新田絵図(元禄)

笠掛野御新田絵図(元禄)1697年

指定区分
市指定重要文化財[歴史資料]
指定年月日
昭和63年1月11日
合併に伴い、平成17年3月28日に改めて
新市の文化財として指定されました

所在地
太田市新田反町町877(太田市教育委員会寄託)

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