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追分の道しるべ・石地蔵

石地蔵  日光例幣使道は、日光東照宮の大祭(4月15日~17日)に際し、幣帛(へいはく・神前の供え物)を供するため、例年京都の朝廷から派遣された奉幣使が通過したことから呼称された街道です。日光例幣使の派遣は正保4年(1647)から慶応3年(1867)まで中断することなく続きました。例幣使道中は中山道倉賀野宿(高崎市)から分かれ下野国金崎宿に至る間の13宿です。道程は23里1町(約90km)ほどです。金崎宿の次は楡木宿(栃木県鹿沼市)でそこから壬生道に入り今市で日光道に合流しました。明和元年(1764)には、道中奉行管轄となり、五街道に準じるようになりました。
 この道しるべは日光例幣使道と古河道との分岐点、新島の追分け(現在、工場敷地内)にあり、享和3年(1803)太田宿の永竹幸助義信により百番供養を兼ね建立されたもので、道歌のある道しるべとしては重要なものです。道しるべの左側には追分け地蔵と呼ばれる地蔵菩薩があり、今でも子供を護る地蔵として厚い信仰の対象となっています。
銘文
正面
右 たてばやし こか道
左 日光道 やき さの駅
裏面
ひとすじに 出れハ安き法の旅 今なすわさそ 後の世の夢
正面左
百番供養等
正面右
享和三癸亥八月吉日
地所 新嶋村 敬白
願主 太田宿
永竹幸助義信

指定区分
市指定重要文化財[建造物(石造物)]
指定年月日
昭和51年11月16日
合併に伴い、平成17年3月28日に改めて
新市の文化財として指定されました
所在地
太田市東本町4-3

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