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津軽藩代官足立氏の墓

津軽藩代官足立氏の墓  津軽藩代官足立氏の墓(つがるはんだいかんあだちしのはか)は江戸時代前期において弘前藩及び黒石領主(文化6年に黒石藩)の飛び地であった上州8ヶ村の支配を示す史跡です。津軽氏の支配は慶長6年(1601)から元禄11年(1698)まで続きました。この間、足立氏の初代及び2代源左衛門は、50有余年上州8ヶ村の管理を任され、代官を勤めていました。
 足立氏の墓には、五輪塔1基と宝篋印塔11基があります。最も西にある宝篋印塔に刻まれた「香月院殿」は、初代代官の足立源左衛門のもので、「足立草宿大居士」と刻まれた五輪塔は2代源左衛門のものです。
 上州8ヶ村とは勢多郡(新田郡)内の大舘村・安養寺村・出塚村・村田村・赤堀村・下江田村(太田市)、女塚村・境村(伊勢崎市)であり、その中心地の大舘村に陣屋を置き、足立源左衛門を代官として居住させました。大舘村の陣屋は、江戸と近いため江戸藩邸ができるまで、参勤交代などで出府の折には藩主も滞在したといわれています。
 明暦2年(1656)3代藩主信義の弟信英は黒石・平内及び上州8ヶ村を分地され、黒石に陣屋を置きました。黒石領主3代藩主政兕は、元禄11年(1698)上州の地を幕府に献上し、代わりに上黒石4ヶ村ほかを与えられ、上州の黒石藩領はなくなりました。
 なお、「尾島ねぷた」は津軽藩の領地がこの地にあったことから、弘前市との交流がはじまり、行われるようになりました。
指定区分
市指定史跡
指定年月日
平成8年3月1日
合併に伴い、平成17年3月28日に改めて
新市の文化財として指定されました
所在地
太田市大舘町1493 東楊寺墓地内

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