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天良七堂遺跡

遺跡名称
天良七堂遺跡(てんらしちどういせき)
調査場所
新田郡庁跡(太田市天良町)
新田郡衙(太田市新田小金井町ほか)
調査期間
平成22年11月1日~平成23年1月31日
調査面積
約2,000平方メートル
調査結果
 天良七堂遺跡は、これまでの調査によって、7世紀後半から9世紀の新田郡の役所「新田郡衙」
であったことがわかっています。郡衙の中心部分である郡庁は、国内最大の規模であったことが
わかり、平成20年7月、「上野国新田郡庁跡」として、国の史跡に指定されました。この後、
継続的に確認調査を行い、様々なことがわかっています。平成22年度の天良七堂遺跡の発掘
調査は、次のような多くの成果をあげることができました。

新田郡衙全体図 (1,523KB)

1 新田郡庁内を区画する溝の発見

新田郡庁内を区画する溝(西から) 新田郡庁の内部に新たに区画溝が発見されました。これにより、創建期(7世紀後半)に約90m四方と国内最大の規模であった郡庁が、最終段階(9世紀)には約60m四方の規模に縮小されていたことがわかりました。

新田郡庁内を区画する溝(西から)

2 新田郡衙の外側を区画する溝の発見

新田郡衙の南側を区画する溝(西から)  新田郡衙の東西南北方向を区画する溝が発見されました。この発見により、郡衙の周囲が、上の図のように東西約400m、南北約300mの台形の形に区画されていることがわかり、郡衙の敷地が広大であったことが明らかになりました。

新田郡衙の南側を区画する溝(西から)

3 新田郡衙の南で東山道駅路を発見

東山道駅路(北から)  新田郡衙の南に隣接した部分で、古代の道路跡が発見されました。この道路跡は、両側に側溝を持つ路面幅約12mの大規模な道路で、東山道駅路と推定されます。東山道駅路は、奈良の都から東北地方へ向かっていた古代の国道です。この発見によって、新田郡衙が東山道駅路に接していたことが明らかになりました。

東山道駅路(北から)

4 郡庁内へ向かう通路の発見

郡庁内へ向かう通路(南から)  新田郡衙の南を区画する溝の北側で、郡庁の正面へ向かう通路の跡が発見されました。この通路は、地面を掘り下げた部分を敲き締めて、非常に硬い路面を造り出してしました。郡庁の正面に向かっていることから、正門へ向かう通路であったと考えられます。

郡庁内へ向かう通路(南から)

5 新田郡衙初期の正倉(米倉)の発見

掘立柱建物跡の正倉(西から)  新田郡衙では、これまで多くの正倉跡(米を貯えた倉)が発見されていますが、これらのほとんどは礎石の上に建物を建てる構造でした。今回の調査では、郡庁の北部で新たに掘立柱建物という地面に穴を掘って柱を建てる構造の倉の跡が発見されました。この建物跡は、古い時期の正倉と考えられれ、初期の正倉が郡庁の北部にあったことが明らかになりました。

掘立柱建物跡の正倉(西から)

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