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日光例幣使と太田宿

「まんが太田の歴史」(発行/太田市) 134ページより

「まんが太田の歴史」(発行/太田市) 134ページ  元和3年(1617)4月、徳川家康を祭る「日光東照社」が造営され、正保2年(1645)11月には「東照宮」の宮号が朝廷から授けられ、以後「日光東照宮」と呼ばれるようになりました。朝廷は、翌年4月、日光に臨時奉幣使を派遣しました。これが先例となり、翌年から家康の命日である4月17日に、毎年幣帛を捧げる奉幣使(公家)が朝廷から派遣されることになりました。これが日光例幣使です。
 日光例幣使は、毎年4月1日に京都を発ち、日光東照宮奉幣後は日光道・東海道を経て京都に帰着します。
 日光例幣使道は、中山道倉賀野宿(高崎市)東の追分けで中山道から分岐して、太田宿等13宿を経て、楡木宿(栃木県鹿沼市)の手前で日光道壬生通りに合流する間をいいます。太田宿では、正保2年に宿割りを実施し、宿場の形態を整えたと伝えています。

「まんが太田の歴史」(発行/太田市) 135ページより

「まんが太田の歴史」(発行/太田市) 135ページ

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