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金山御林と献上松茸

「まんが太田の歴史」(発行/太田市) 131ページより

「まんが太田の歴史」(発行/太田市) 131ページ

 金山は標高239mで、その周囲は約24.6km、面積は約290.2haです(「享保18年検地金山絵図」)。この金山には、文明元年(1469)の築城になる金山城がありますが、天正18年(1590)の廃城後は、赤松の植生が卓越する松茸の産地としても知られた山でもありました。

 松茸は、寛永6年(1629)、館林藩主榊原忠次が最初に献上したと伝えられ、献上は江戸幕府が瓦解する慶應3年(1867)まで、一年も休むことなく続けられました。このため、金山を管理する3人の「御山守」が置かれましたが、元禄元年(1688)に金山が幕府直轄林「金山御林」となると、「御山守」は「御林守」と改称されました。

 松茸の献上は秋の彼岸から10月にかけて行われましたが、金山全山43か所で採取された松茸は、「御林守」の家へ運ばれ、虫喰い・腐れなどを除く選別作業を経て、竹籠に詰められ、老中の証文を添えて、昼夜兼行の宿継ぎで江戸城御台所まで送られました。太田の出発は午前9時で、到着が翌朝5時であったので、当時としては異例のスピードといえましょう。

 なお、松茸の出生数は、多い年で3,000本程度でありました。

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