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近代農政の先駆者 武藤幸逸

「まんが太田の歴史」(発行/太田市) 171ページより

「まんが太田の歴史」(発行/太田市) 171ページ

「まんが太田の歴史」(発行/太田市)  172ページより

「まんが太田の歴史」(発行/太田市)  172ページ  幸逸は、天保9年(1838)、桐生新町の新井喜左衛門の長男として生まれ、3歳の時、龍舞村の伯父武藤幸助家の養子となりました。
 学徳共に備えた幸逸は、若い頃から村のリーダーとして活躍しました。明治8年(1875)、地方官会議の傍聴の機会を得た幸逸は、民撰議員開設の議が取り上げられなかったことに失望して帰郷し、以後は「農業を振興し、農民の実力を養成することが大事である」と考えるようになりました。明治11年、幸逸は龍舞村谷廻りに実験農場「共農舎」を設立し、農事の研究や実験に取り組んでまいります。
 手始めに、谷廻りの地が低湿地であったことから、暗渠排水施設を設けて乾田化を図り、米麦など穀物類の改良普及を行い、併せて工芸作物の栽培、果樹園芸、鯉鯰の養殖、家畜類の飼育等、幅広い農業の実践・普及活動を展開し、農業の近代化に貢献しました。明治後期にはぶどう酒醸造や牛乳生産も行い、その販売活動も行っております。
 また、幸逸は農会役員・県会議員として農政の確立にも尽力いたしました。大正3年(1914)8月、惜しまれつつ76歳の生涯を終えました。

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