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縄文時代の太田

「まんが太田の歴史」(発行/太田市) 37ページより

「まんが太田の歴史」(発行/太田市) 37ページ

 現在知られる太田最古の縄文遺跡は下宿遺跡(東金井町)です。金山丘陵の東側の小段丘上に営まれた縄文草創期(約1万年前)のムラの跡と考えられます。

 縄文前期になると、気候の温暖化に伴い定住性が生まれ、次第に大きなムラを形成するようになります。龍舞町の間之原遺跡(約6千年前)では、広場を取り囲んで、27軒の竪穴住居址が見つかりました。

 市域では、3千5百年前頃の中期後半から後期後半にかけて人口増の画期があり、遺跡数が急増します。この時期には、間之原遺跡、又木遺跡(成塚町)、小町田遺跡(龍舞町)、堂原遺跡(新野町)、大道東遺跡(東今泉町)などでムラが営まれますが、ほとんどは大規模なムラを形成するまでには発展していません。狩猟やドングリ採集の場となるナラ・ブナ林が、あまり発達していなかったのかも知れません。大規模なムラの形成を見た赤城山南麓地域や榛名山東・南麓地域とは、様相が少し異なるようです。

 縄文晩期(約2千2百年前頃)は、東北の亀ケ岡文化圏を除くと、全国的に人口減となり、太田でも極端に遺跡は少なくなります。

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