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弥生時代の太田

「まんが太田の歴史」(発行/太田市)39ページより

「まんが太田の歴史」(発行/太田市)39ページ

「まんが太田の歴史」(発行/太田市)40ページより

「まんが太田の歴史」(発行/太田市)40ページ

 太田では、約2千1百年前頃から水稲耕作が始まったと考えられます。駒形遺跡(植木野町)など小河川に面した微高地に遺跡が見られるようになります。しかし、順調な水田開発の進展にはつながらなかったようです。市域では、弥生時代全般を通して遺跡数は極めて少なく、規模は小さいものが多いようです。当時のこの地域は、渡良瀬川・利根川とその支流が縦横無尽に流れる広大な氾濫原となっていたことが考えられます。

 3世紀(弥生後期)になると、わずかながらも遺跡の増加が見られるようになります。しかし、焼山遺跡(東長岡町)、小丸山遺跡(緑町)など、平坦部より丘陵部に立地した遺跡も増えて行きます。入り組んだ谷間の低地を水田としていたようです。平坦部の水田開発が本格的に展開されるのは、古墳時代石田川期まで待たなければなりません。

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