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平安時代の太田

「まんが太田の歴史」(発行/太田市) 54ページより

「まんが太田の歴史」(発行/太田市) 54ページ

「まんが太田の歴史」(発行/太田市)57ページより

「まんが太田の歴史」(発行/太田市)57ページ

 平安時代はじめの弘仁9年(818)、関東地方に大地震が発生し、東毛地方でも地割れの跡が確認されるなど、大きな被害があったようです。また、天仁元年(1108)には浅間山の大噴火により火山灰が厚く堆積するなど、平安時代は自然災害が多かった時代といえます。

 こうしたなか、荒廃した水田の再開発を進めた一人に源(新田)義重がいます。義重は新田郡内の田畑の再開発を進め、花山院藤原忠雅家に寄進し、保元2年(1157)には新田荘の下司職(荘官)に任命されています。新田荘の範囲は、おおむね今の新田郡と太田市の西半であり、太田市の東半は伊勢神宮の神領として薗田御厨や寮米保・大倉保が営まれました。こうした史実を裏付けるような大きな村や水路の跡が各地で発見されています。

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