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岩松氏と金山築城

「まんが太田の歴史」(発行/太田市) 100ページより

「まんが太田の歴史」(発行/太田市) 100ページ  岩松氏は、新田義重孫女と足利義康の孫義純との間に生まれた時兼が祖で、岩松郷(尾島町岩松)を本拠として岩松氏を名乗り、新田本宗家没落後、新田荘を支配するようになりました。
 新田義貞の孫満純は岩松満国の養子となりますが、満純が上杉禅秀の乱で殺害されると孫の持国が家督を継ぎ、古河公方足利成氏につきました。一方、満純の子家純は、東国の戦乱の中で関東管領上杉氏に加担しています。岩松氏は二流(家純方新田流礼部家と持国方岩松流京兆家)に分かれて対立しますが、京兆家の衰退によって新田荘を支配するようになった家純は、文明元年(1469)、金山に城を築き、東毛地方に勢威を張りました。

 その後、岩松家純は幕府と古河公方足利成氏との対立抗争の中で、長尾景春の乱に際して、息子の明純を勘当し、古河公方方として行動するようになります。しかし、その家純が明応3年(1494)に没すると、孫の尚純が家督を継ぎますが、実質的な権勢を誇る重臣横瀬氏と不和を来たし、翌年の明応の乱や享禄の変をもって、横瀬氏の下剋上が成立し、岩松氏は衰退してしまいました。

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