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古代の役所 「 上野国新田郡家跡 」

 太田市の天良町・寺井町・新田小金井町にまたがる地域には、7世紀後半から9世紀の新田郡における役所があったことが発掘調査などによって明らかとなりました。
 発掘調査によって見つかった役所の中心部である「郡庁(ぐんちょう)跡」は、その規模や重要性から平成20年7月28日付で「史跡上野国新田郡庁跡(しせきこうずけのくににったぐんちょうあと)」として国の史跡指定されました。その後の調査で、郡庁跡の北西において正倉群が見つかったことから、平成27年10月7日付で、新たに「史跡上野国新田郡家跡(こうずけのくににったぐうけあと)」と名称変更の上、追加指定されています。
※郡家は、「ぐうけ」と読み、郡衙(ぐんが)ともいいます。郡庁にあたる正殿・前殿、税として納められた穀物をしまう正倉(しょうそう)、役人が宿泊した館(たち)、厨房施設の厨(くりや)で構成されています。 

こうずけのくに にったぐんちょうあと くうさつ

新田郡家の郡庁跡(上空から。平成19年撮影。)

古代の役所

 新田郡家は、日本最大クラスの郡庁跡が郡家内にあることや、外郭溝や正倉などの郡家に関係する遺構が非常によく残されていること、郡家の近くに東山道や寺井廃寺などの同時代の遺跡があることなどから、今後の調査による新たな発見と、奈良時代・平安時代における地方史の解明に期待が寄せられています。では、当時の国や地方のしくみや役所はどういったものだったのでしょう。

古代の役所についてはこちらをクリック。PDFファイル(275KB)

新田郡家跡の調査で何がわかったのか

新田郡家跡の発掘調査は、郡庁跡が見つかった平成19年度以降、現在まで継続して行われています。これまでの調査の結果、新田郡家は郡庁を中心に正倉が東・北・西に建ち並び、さらにその周りを外郭溝(堀)がめぐる、東西約400m、南北約300m、台形の形をしていたことがわかりました。

こうずけのくに+にったぐんちょうあと+くうさつ

新田郡家の全体図と現在の史跡指定範囲(平成27年10月7日現在)

新田郡家の用語についてはこちらをクリック。PDFファイル(247KB)

(1)郡庁(ぐんちょう)

古代新田郡の郡庁は、正殿(せいでん)・前殿(ぜんでん)を中心として長さが50mにもおよぶ長屋建物を東西南北に「ロ」の字形に配置されていたことが発掘調査で明らかとなりました。

郡庁の想定復元図(飯塚聡氏作画)

『上野国交替実録帳(こうずけのくにこうたいじつろくちょう)』の抜粋。平安時代(長元3年 西暦1030年)、上野国の国司(こくし)が交替する際にかわした「引き継ぎ書」の下書きです。「新田郡」の項があり、正倉や郡庁、館、厨といった役所の建物が書かれています。赤線部分は郡庁の長屋建物について書かれています。

こうずけのくに+にったぐんちょうあと+くうさつ

発掘調査で見つかった郡庁跡を上から見た図(平成27年現在)

A 正殿(せいでん)・前殿(ぜんでん)

正殿跡(上空から。平成20年撮影。)
郡庁跡の中央に存在する正殿は、東西5間、南北3間の建物があったことや、2回建て替えが行われていたことが調査によってわかっています。

前殿跡(上空から。平成21年撮影。)
東西約16.8m、南北約4.2mの建物で、中央が通路になっています。 

B 石敷き

調査で見つかった石敷き(南から。平成21年撮影。)
正殿と前殿の南正面では石敷きが見つかりました。石が直線的に並んでいる状況が写真中央に見られますが、これは正殿と前殿へ向かう通路の縁石であると思われます。 

C 長屋建物跡(ながやたてものあと)

調査で見つかった北長屋建物跡(南東から。平成19年撮影。) 
地面に丸く空いたところが柱掘りかた(はしらほりかた)で、その穴に柱を建てました。長さが51mにもおよぶ長い建物跡であると想定されます。「柱掘りかた」とは柱を建てるために掘られた大きな穴です。

長屋建物跡の柱掘かたの断面(平成19年撮影。)
柱掘りかたは、直径約1.2m、深さが約1.0mもあります。柱掘りかたの底近くにある石は、建物の沈下を防ぐために柱の下に入れられたもので、「礎板石(そばんせき)」といいます。

D 掘立柱塀(ほったてばしらべい)

郡庁北西隅の掘立柱塀(西から。平成26年撮影。)

北・西長屋建物の間を、L字形に結ぶようにして塀の柱掘りかたが見つかりました。

E 区画溝

調査で見つかった区画溝(上空から。平成26年撮影。)  

写真の赤丸が区画溝です。2本の溝の間に柵列と思われる柱穴が並んでいます。溝からは多量の炭化米や炭化材が見つかりました。9世紀後半の郡庁の区画溝であると想定されます。

(2)(3)正倉(しょうそう)

調査で見つかった掘立柱の正倉(西から。平成23年度撮影。)
郡庁の北約100mの地点で見つかった掘立柱の正倉です。黒褐色の四角い部分が柱掘りかたで、中心部付近に柱が建てられていました。

調査で見つかった正倉(上空から。平成21年撮影。)
郡庁の北西約80mで見つかった総地業(そうじぎょう。白線の四角い範囲)と、壷地業(つぼじぎょう。白線の丸い部分)の正倉の基礎です。壷地業とは礎石を置く部分だけを土を入れ替えて硬くたたき締める地盤改良の工法です。

(4)外郭溝(堀)

外郭溝の横断面(東から。平成24年撮影。)
上面幅(想定)約5.1m、下底幅約3.0m、深さ(想定)約1.7m、断面が逆台形をした幅が広く深い外郭溝が見つかりました。

(5)古い時期の外郭溝(がいかくみぞ)

見つかった古い時期の外郭溝(西から。平成26年撮影。)

上面幅(想定)約2.2m、下底幅約1.0m、深さ(想定)約0.8mの、断面が逆台形をした古い時期の外郭溝が見つかりました。この外郭溝は途切れている部分があり、そこに出入り口があった可能性があります。

(6)東山道駅路

推定東山道駅路下新田ルート(西から。)

郡家の南縁には、西は佐位郡(さいぐん。およそ現在の伊勢崎市地域。)、東は山田郡(やまだぐん。およそ現在の太田市東部と桐生市地域。)を結ぶ東山道(推定東山道駅路下新田ルート)が延びています。写真は、太田市新田市町の下新田遺跡で見つかった東山道駅路の遺構で、両側に側溝をもつ幅約12mの道路の跡です。

新田郡家の周辺の遺跡

新田郡家の周辺の遺跡はこちらをクリック。PDFファイル(915KB)

新田郡家の現在

遺跡説明版(南から。)

郡庁跡の南西隅に遺跡説明版が設置してあります。

仮整備の状況(南から。)

郡庁跡の調査で見つかった建物跡の柱穴があった位置に、小型の赤いドラム缶を置いて柱位置を表示し、郡庁の建物があったことがわかるようになっています。

現在までの新田郡家の調査状況について紹介します。

平成26年度現地説明会資料(平成26年11月15日開催)はこちらをクリック。PDFファイル(1221KB)

平成27年度現地説明会資料(平成27年11月29日開催)はこちらをクリック。PDFファイル(1209KB)

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