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馬場曲輪と物見台
ここでは平成4年度から平成10年度までに、発掘調査が実施された遺構の中で、特徴的なものについて解説します。なお、平成11年度以降の発掘調査結果については、金山城跡の発掘調査のページをご覧ください。
1.馬場曲輪
馬場曲輪は三ノ丸を隔てる堀切と物見台下堀切との間にある、尾根上の東西約120mの細長い曲輪です。西端には物見台と推定される基壇があり、東端は一段低く、幅が広くなっており、建物の柱穴が多数あることが確認されています。馬場曲輪の下段には馬場下通路と呼ぶ西城と実城を結ぶ通路がありました。
なお、「馬場曲輪」の名称は細長い曲輪であることから、後世に命名されたと考えられますが、発掘調査の結果、馬場に関連する遺構は発見されていません。だだし、金山城入門のページでも触れたように、曲輪名称としては今後も使用します。

馬場曲輪西端にある物見台付近の鳥瞰図(平成12年2月作成)
土橋脇基壇付近から物見台方向へ登る階段はその後の調査により後世のものと判断されたため、整備にあたり廃止されています。
物見台下の堀切とこれに続く竪堀部分には、両側に石積みされた土橋(鳥瞰図中の丸数字5・以下略表記)がかかっており、その内側には石積みによる基壇が両側にありました。この部分の通路には門があったものと推定されています。 なお、石積み基壇は角の積み方が隅切りになっていました。
石積みされた土橋
(鳥瞰図の5・確認調査時・手前が実城側・東から)
土橋(発掘調査中・南東から)
整備後 基壇間から土橋方向を望む(東から)
通路は直線でなく、西城方向からは土橋手前で
クランク状になっています。
※基壇間には「門」があったと考えられます。
整備後 石積み土橋(南から)

土橋脇谷側の石積み基壇
(発掘調査中・角は隅切りになっていました・鳥瞰図の1)
整備後 土橋脇の石積み基壇
(手前は石積み土橋・鳥瞰図の1)
同左(東から)
※旧石積みと復元石積みとの間には
区別がつくように「鉛板」を挟んでいます。
土橋脇の石積み基壇から、馬場下通路を月ノ池(東)
方向にある竪堀手前まで延びる土塁石垣と石敷き
通路 (発掘調査中・鳥瞰図の6)
同左(西から)
整備後の土塁石垣中央部(北から)
※土塁石垣の中央部は崩れた状態で
整備しています。
整備後の土塁石垣と石敷き通路(西から)
石積み基壇の所から馬場下通路を実城方向に進むと、竪堀と土塁で守られた部分の手前で、通路が二つに分岐していました。
竪堀西側で竪堀に降りる階段と、
竪堀に架かる木橋の二方向に分岐する通路
(発掘調査中・東から)
同左(整備後・東から)
一方は、左に折れて、竪堀にかかる木橋(発掘調査で礎石が確認されているため木橋と想定された)を渡り、一段高い、細長い曲輪(鳥瞰図の3・4)へ至るものです。この曲輪は途中にある岩盤の張り出しによって、東西に区画され、西側には1間×4間規模の礎石建物址、東側には1間×4間規模の掘立柱建物址が確認されています。岩盤張り出し部分には馬場曲輪に登る通路が確認されています。また、建物跡に沿って板塀または柵の柱穴と推定される小穴列がありました。この曲輪の実城側は石垣で段差ができており、調査以前のハイキング道路はこの部分を通過していましたが、月ノ池方向に下りる通路は確認されませんでした。
竪堀に架かる木橋(整備後・西から)
馬場下通路上段の礎石建物址
(発掘調査中・鳥瞰図の3)
竪堀以東の馬場下通路石敷きと柵列整備
(整備後・西から)
※石敷き通路の左側(北側)では、
礎石建物址を平面表示しています。
馬場下通路から馬場通路へ上がり実城方向へ
至る連絡道 ・奥は行き止まりとなる
(整備後・西から)
※奥に、掘立柱建物遺構を平面表示しています。
他方は、木橋の脇にあった階段を降りて、段上土塁石垣脇の竪堀の中を下り、馬場下曲輪の下の通路(現在の管理用道路)へ至るもので、西城と実城域との連絡はこの通路を本筋として利用したものと考えられます。
竪堀東側の段状土塁
(発掘調査中・西から)
同左(整備後・西から)
※土塁石垣の手前が通路。
土塁石垣は、南半部を崩れた状態で
整備しています。
平成11年度には、馬場曲輪の東寄り約60mの区間(発掘調査報告(3)馬場曲輪)の調査を行ないました。そして、平成12年度には、馬場曲輪西端にある物見台から東へ延びる南斜面際の通路と北斜面際の石塁(発掘調査報告(1)馬場通路・石塁)、 馬場下通路の段状土塁石垣東の南斜面(発掘調査報告(3)馬場下通路(南斜面))、平成11年度の馬場曲輪東の調査区を北に拡張した箇所(発掘調査報告(4)馬場曲輪(北縁部))の調査を行ないました。併せてご覧ください。
2.物見台
物見台(鳥瞰図の2)は、馬場曲輪の西端、堀切で断ち切られた尾根の先端部分にあり、石積みによる基壇の中央に物見矢倉と推定される建物の柱穴が発見されています。平面形が等脚台形で、東側中央に階段があり、基壇北側から馬場曲輪の縁に沿って、長さ3.7m、幅1.2m、高さ0.4mの石築地が東に伸びています。石塁の上には築地塀または低い土塁が築かれていたと想定されており、北の長手口を意識した防御のためのものと考えられます。
ここは現在、金山で一番見晴らしのよい場所であり、大手の新田口、搦手(からめて)の長手口だけでなく、晴れた日には、赤城・榛名・妙義の上毛三山、浅間山や関東山地、さらには、わずかながら八ヶ岳の一部や富士山の山頂部まで見渡すことができます。なお、以前ここには223mの二等三角点が置かれていましたが、現在は実城方向に12mほど移設されています。

物見台基壇(発掘調査中・鳥瞰図の2)
復元された物見台基壇上に造られた遺構表示施設
(東から)
※調査で確認された柱穴の位置を表示するための
施設で、物見矢倉の復元ではありません。
物見台付近から見た赤城山
平成11年度には、馬場曲輪西端にある物見台基壇の土台となっている物見台下堀切の調査を行ないました(発掘調査報告(2)物見台下堀切)。併せてご覧ください。

