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Q2お城はどこにあったのですか。

A2

 私たちはつい、「今立っているこの場所が金山城です」と答えてしまいます。当然質問された方はけげんな顔をされます。
 よく質問の内容をお聞きすると、質問された方は、城というとまず松本城や姫路城などの天守閣を連想し、そういった建物はどこにあったのかという意味合いで、そう聞かれているのだとわかります。しかし、上記のような江戸時代の城とは違い、金山城のような戦国時代の山城は防備施設として土塁や堀切を設け、自然地形を巧みに取り込んだお城でした。ですから、金山城は金山全体が城ということができます。
 皆さんよくご存じの、大光院(呑龍様)の裏手には金山城の一部(西山の砦)とされる土塁や堀があります。一説には、大光院そのものが中世の城館跡であるとも言われています。また、県道金山城址線の鶴見橋のかかる濠(八瀬川から分かれ太田幼稚園の南から、高山神社の南を東に流れている)は、金山城の大手外堀というのが定説です。また搦手とされる長手の谷の一番外側には、地元で「スナラ土手(またはスナナン土手)」と呼ばれている、搦手口を守るため土塁の跡があります。繰り返しになりますが、金山城は金山全山、そしてその周囲までもが城であり、至る所に遺構が残っているということです。

呑龍様として名高い大光院

呑龍様として名高い大光院

長手のスナラ土手

長手のスナラ土手(後方は浅間神社と浅間山)

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