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Q23小判は出ませんか。
A23
金山城跡に限らず、発掘調査をしているとたびたび聞かれる質問ですが、こと城となると、なおさら興味を持つ方も多いようです。
結論から言うと、大判小判は出ないと見たほうがよいでしょう。まず時代的なことからご説明しますと、大判は天正16年(1588)に豊臣秀吉によって、小判は文禄4年(1595)に徳川家康によって初めて作られたといわれています。金山城の廃城が天正18年(1590)ですから、小判はありませんでしたが、大判があった時期には、わずかながら含まれます。しかし、戦国時代に主流であった貨幣は銅貨や銀貨であり、大判小判が広く作られるようになったのは江戸時代になってからのことです。
次に、全国で年間数千件も行われている遺跡の発掘調査での出土例はどうかというと、大判・小判が存在した江戸時代のお城の発掘調査を含めても、ほとんど皆無です。つまり、大判・小判のような大切なものは、やたらの所には埋まっていないということが言えると思います。
なお、金山城は落城でなく、廃城となったため、貴重なものはすべて持ち出されていると考えられますが、発掘調査の結果からもその傾向がうかがえます。

