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見附出丸~西城間通路
■調査期間 : 平成16年9月3日~平成17年2月28日
■調査場所 : 太田市金山町40-25
平成15年度に行なわれた見附出丸の発掘調査では、北土塁石垣に拡張があったことが確認され、その拡張に伴った新旧2時期の通路が見つかりました。(図A)
また、平成12年度の発掘調査においても、西城南土塁の拡張による新旧2時期の土塁が見つかっています。(図B)
そのため、平成16年度の発掘調査では、見附出丸と西城とを結ぶ新旧2時期の通路形態を明らかにするため、発掘調査を行ないました。
図A : 平成15年度見附出丸発掘調査
図B : 平成12年度西城南土塁発掘調査
調査の結果、旧時期の通路形態は、拡張前の見附出丸北土塁石垣の西脇(上図A青ライン)から、同じく拡張前の西城南土塁北脇(上図B)へと通ることがほぼ明らかになりました。
この旧時期通路は、幅がほぼ一定で、一直線状の開放的な通路であったことが分かりました。また、旧通路の一部では、石敷き状のものも確認されました。(下写真)

旧時期通路
一方、新時期の通路は、平成15年度の調査で拡張した後の見附出丸北土塁石垣の西脇を北へ向かい、一度クランクして、さらに北(西城)方向へと向かっていることが分かっていました。(上図A赤ライン)
平成16年度の調査では、西城へと向かう先を調査したところ、途中に幅を狭くする箇所を入れながら、現況のハイキング道と同じライン上になることが確認されました。
しかし、ハイキング道部分では、遺構の大部分が流失しており、南土塁拡張後の西城までの通路形態ははっきりとは判明しませんでした。
平成15・16年度の発掘調査の結果、新時期通路は、折れを入れて見通しを悪くしたり、途中に幅の狭い箇所をいれたりしており、かなり「戦いを意識したような通路」になっていると言えます。(下図:平面図参照)

西城~見附出丸間平面図
なお、旧時期通路では、平安時代(9世紀前~中期)の甕(カメ)形土器や、多数のカワラケ・陶磁器片(15世紀後半~16世紀前半)が出土しました。
平安時代の甕形土器
多数のカワラケ片

