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国指定史跡金山城跡
「史跡」とは、「重要文化財」や「重要無形文化財」などと並ぶ文化財の一区分で、文化財保護法に基づき、遺跡のうち「我が国にとって歴史上または学術上価値の高い物」を文部科学大臣が指定したものをいいます。史跡においては保護・保存の手だてが講じられるとともに、史跡の現状を変更しようとする場合には制限が加えられます。また、史跡には都道府県・市町村の文化財保護条例によって指定されたものもあります。
金山城跡はその一部が国の史跡に指定されています。以下は史跡金山城跡の概要です。
| 1.名称 | 史跡金山城跡(しせきかなやまじょうあと) |
|---|---|
| 2.所在地 | 群馬県太田市金山町40-98ほか |
| 3.史跡指定年月日 | 昭和9年(1934)12月28日 平成14年(2002)9月20日 追加指定 |
| 4.史跡指定面積 | 97.8ha (当初の指定区域は金山の山頂を中心とする実城から西城までの尾根部分18.3ha でしたが、 城郭遺構の分布範囲はほぼ金山全山にわたり約300haにも及ぶため、特に重要な遺構である、 北城(坂中)・八王子山の砦・大手の士屋敷部分を含む79.5haが追加指定されました。) |
| 5.時代 | 築城 文明元年(1469) 廃城 天正18年(1590) |
| 6.歴代城主 | 新田岩松氏/横瀬・由良氏/小田原北条氏 |
| 7.特徴 | 標高239mの金山山頂の実城(みじょう)を中心に、四方に延びる尾根上を造成、 曲輪とし、これを堀切・土塁などで固く守った戦国時代の山城です。特筆されるのは、 石垣や石敷きが多用されていることで、従来、戦国時代の関東の山城に本格的な石垣は ないとされた城郭史の定説が金山城跡の発掘調査で覆されました。 主な曲輪群は実城 ・西城・北城(坂中・北曲輪)・八王子山の砦の4箇所ですが、山麓にも、城主や家臣団 の館・屋敷があったと考えられ、根小屋(城下)を形成していたと見られます。 |
| 8.現状 | 金山城時代の建造物は残っていません。実城と三ノ丸には明治8年(1876)に創建された 新田義貞を祭る新田神社とその関連の建物、御台所曲輪には2軒の茶店(1軒は現在休業中)が あります。 平成4(1992)年度から継続して行われている発掘調査と整備事業は、概ね、 実城域の西側に位置する物見台から、南曲輪・日ノ池の間で実施されています。また、 西城~西矢倉台間では一部確認調査(発掘調査)と園路整備を実施中です。なお、金山に おける史跡以外の法的規制として、都市公園(西山公園・東山公園・金山総合公園)、風致 地区、鳥獣保護区、保安林などがあります。 |
| 9.山城の曲輪名称 | 金山城の曲輪名称としては、「実城」「西城」「坂中」「北曲輪」「根曲輪」「中城」など があったことが、「永禄日記」「北条家朱印状」等の戦国時代の史料に記されています。 しかし、これら曲輪群の内部における諸曲輪の名称は不明のため、江戸時代に描かれた 絵図に記された「実城」「本丸」「二ノ丸」「三ノ丸」「御台所」「馬場」や、昭和9年(1934)の 史跡指定時に命名されたといわれる「馬場下」「裏馬場」「物見台」「西矢倉台」等の 名称が一般に使用されています。 中世城郭の用語としては、「二ノ丸」「三ノ丸」は それぞれ「二の曲輪」「三の曲輪」というように称されるのが一般的ですが、上述の ような経緯があるため、本稿でも、便宜的にこれらの名称を使用しています。 |
※既存の標識柱・説明板について
金山城跡において、史跡指定時に設置された石製標識柱及び昭和55年度に国・県の補助を受け太田市教育委員会が設置した説明板については、それぞれ設置された当時における城郭研究の成果に基づいて、遺構名称・内容が書かれたものです。しかし、その後の研究や平成4年度から実施されている発掘調査の進展により、現状とそぐわない部分が生じています。今後、これらの標識柱・説明板については、整備の進捗に合わせ、訂正または設置替えを進める予定です。

