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金山城跡の出土遺物
金山城跡の発掘調査で出土した主な遺物は、カワラケ・ホウロク・瓦・陶器(甕・茶壷・茶入・天目茶碗・灰釉小皿)・輸入磁器(小皿・碗)・鉄釘・鉄砲玉・大砲玉・鉄鏃・古銭・石臼・木製品(鋤・箸)・塗物(漆椀)・硯などです。
遺物の年代は陶磁器の年代から、15世紀中頃から16世紀前半の物が大半で、金山城の存続時期と矛盾するものではありません。
全般的に陶磁器類は破片での出土が多く、廃棄されたものと考えられています。また、火を受けている物も多く見られます。
金山城以前の時代のものと考えられる遺物としては、瓦塔(がとう)・土馬(どば)・板碑(いたび)があります。
以下、発掘調査で出土した代表的な遺物(カワラケ・陶磁器)と、注目される遺物(鉄砲玉・鉄鏃・箸・漆椀・瓦塔・板碑)について紹介します。
1.カワラケ
出土遺物の中で圧倒的な量をしめるのが、カワラケです。これはハレの儀式や饗宴のときに使用される素焼きの皿です。また表面にタールが付着しているものもあり、灯明皿としても使用しています。こういった使われ方をしたカワラケが多く出土することは、儀式や宴が金山城内で行われていたことを物語っていると考えられます。また日ノ池では、カワラケに仏具の輪宝(りんぽう)を墨書した土器(輪宝墨書土器)が見つかっていますが、これは地鎮などの祭祀に用いたものと考えられます。
2.陶磁器
陶器は、美濃や常滑で焼かれた国産のものが多く出土しています。瀬戸美濃の天目茶碗や茶入などの茶器が含まれていることが注目されます。年代的には瀬戸美濃の大窯編年で1期から2期に位置づけられるものが大半です。一方、輸入磁器は15世紀後半から16世紀前半の、染付の碗皿類が比較的多く出土しています。また白磁の碗、青磁の大皿や香炉といった高級品も破片で出土しています。青磁製品は、年代的には城の時期より古く14世紀のものですが、前述した天目茶碗などの茶器とあわせて、実用的な器というよりも、持ち主の権威や信用を示すような「威信財」であって、座敷を飾るための器であったと言われています。このような道具を客間などに飾ることは、当時の武人達のステイタスであったようです。
3.鉄砲玉・鉄鏃
金山城跡の発掘調査では、武器の出土が極めてまれですが、弾丸・鉄鏃が少数見つかっています。大手虎口では、火縄銃の弾丸が3点出土しています。2点が銅弾、1点が鉛弾で、直径1.1?前後のものです。また、弾丸に関連して、鐚銭(びたせん)が10枚ほど熔けてくっついた青銅の塊が同じ大手虎口で発見されています。鐚銭を鋳つぶして弾丸を作ろうとした可能性があります。
物見台とその周辺では、火縄銃弾丸(銅弾)7点や鉄鏃1点が出土し、物見台が戦闘的な遺構であったことが想像できます。
馬場下通路からは火縄銃弾丸(銅弾)1点のほか、直径38mmの大筒弾丸(鉄弾)1点がみつかっています。
4.瓦塔・板碑・土馬
瓦塔というのは、瓦製(がせい)の1~2mほどの五重塔のような形をした仏塔で、主に屋外に置かれました。奈良時代中期から室町時代まで作られましたが、平安時代が最盛期です。一方、板碑は埼玉県の秩父地方などから産出する緑泥片岩の板石で作った卒塔婆です。鎌倉時代から南北朝時代にかけてが最盛期で、室町時代には急激に減少します。
これらの破片が金山城内で出土しましたが、いずれも築城以前の遺物でした。しかし、これらが金山城内で出土するということは、金山が信仰の場であったと考えることができます。
さらに、日ノ池から、10世紀代の遺物で、水に関係する祭祀に使われたとされている土馬が出土しています。
以上のことから、金山が古来からの「聖地」であり、人々の精神的な拠り所であったということが考えられます。
5.箸・漆椀
月ノ池では、最終期下段石垣裏込めから箸や漆椀が出土しています。両端が細く中央部が膨らんでいるもので、「はらみ箸」という儀式用の箸です。また漆椀は内面が赤色、外面が黒色で、外面体部には梅の模様が朱で描かれています。高台部分が厚く、器壁が底部付近で強く屈曲したあと、真っ直ぐ立ち上がる形をしているもので、こちらは儀式用ではなく、日常使用されるものです。
遺物だけを見ると、先に述べた日ノ池の非日常性とは対照的に、月ノ池は実用的な性格を持っているのではないかと想像されます。
なお、箸の年代は定かでありませんが、漆椀の年代は、およそ16世紀のものと推定されています。

