太田市の歴史

おおたんと一緒に昔の太田市の誕生にタイムスリップするよ。 

 まんがでも太田の歴史を学べるよ!
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天神山古墳

日光例幣使道

大光院

 はるか遠い昔、人々は金山周辺の野山のやま狩猟生活しゅりょうせいかつをして住んでいました。やがて稲作いなさく文化とともに多くの人がこの地に移り住み、水田すいでん開発かいはつが次々と進められたんだ。これが太田市の始まりだよ。

 時は移って、江戸時代えどじだいになると太田は日光例幣使道にっこうれいへいしどう宿場町しゅくばまちとして、その後は商業地として発展はってんするなど、周辺の地域の中心地として発展したんだよ。

 明治時代めいじじだいになると、近くのまちの人々が買い物や大光院だいこういんのお参りに訪れる、人口2500人くらいの小さな町となりました。そして、明治11年には新田郡役所にったぐんやくしょが設置され、明治22年には町制ちょうせい施行しこうされたんだ。明治30年には太田中学校(現在の太田高校)ができて、明治42年には東武鉄道とうぶてつどうが開通するなど、着実ちゃくじつな発展をしてきたんだ。

 大正時代たいしょうじだいに入ると、日本初の民間飛行機産業みんかんひこうきさんぎょうである中島飛行機製作所なかじまひこうきせいさくじょが造られてからは、その後の航空機産業こうくうきさんぎょう軍需産業ぐんじゅさんぎょうの発展とともに飛躍的ひやくてきな発展をとげ、日本国内でも重要な工業都市として発達していったんだ。

 戦後は、この航空機産業こうくうきさんぎょうでの技術を生かして、繊維産業せんいさんぎょう自動車産業じどうしゃさんぎょうなどを中心として再出発をはかり、北関東きたかんとうを代表する工業都市へと変身したんだ。

 そして、昭和23年5月に群馬県で5番目の市になったんだよ。そして、昭和32年にはとなりの強戸村ごうどむら休泊村きゅうはくむらと、昭和35年には矢場川村やばがわむらと、昭和38年には宝泉村ほうせんむら毛里田村もりたむらと合併したんだ。そして平成17年3月28日に、旧尾島町・旧新田町・旧藪恂{町と合併して現在の太田市が誕生したんだよ。

 この新「太田市」が誕生たんじょうする間には、土地の整備せいび区画整理事業くかくせいりじぎょうなど)を行ったり、都市と都市を結ぶ大きな道路の整備を行ったりして、都市環境としかんきょう生活環境せいかつかんきょうの整備もたくさん行われてきたんだ。

ぐんまこどもの国

 そして、昭和40年代〜50年代にかけては、みんなが利用している市民会館、運動公園、社会教育総合しゃかいきょういくそうごうセンター、老人センターなどの教育施設きょういくしせつ福祉施設ふくししせつも建てられたんだ。さらに平成に入ると学習センター、ぐんまこどもの国などの施設もできたんだ。みんな、利用したことあるよね?

 このようにして、太田市は東毛地区の中心的な都市として発展を続けているんだよ。

 

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