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生品神社の概要と関連する指定文化財一覧

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ページID:0004195 更新日:2022年12月6日更新 印刷ページ表示

 生品神社は、元弘3年(1333)5月8日、新田義貞が後醍醐天皇の綸旨を受けて、鎌倉幕府を滅ぼすための兵を挙げたとされる場所です。『太平記』には「五月八日ノ卯刻ニ、生品明神ノ御前ニテ旗ヲ挙、」(巻第十)と記載されています。神社に参集した軍勢は150騎に過ぎませんでしたが、兵を進めるに従い数を増やしていったということです。
 境内は、昭和9年(1934)に「生品神社境内新田義貞挙兵伝説地」として国史跡に指定されていますが、平成12年(2000)に面積を広げて「新田荘遺跡生品神社境内」としても新たに指定されました。境内には義貞が旗を挙げたと伝えられる「旗挙塚」や陣を構えたと伝えられる「床几塚」があり、神社拝殿の前には義貞が軍旗を掲げたと伝えられるクヌギの古木(市重文)が保存されています。

工芸品

生品神社の刀剣(市重文)

歴史資料

生品神社の古木(市重文)

遺跡地

新田荘遺跡(生品神社境内)(国史跡)