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総持寺の概要と関連する指定文化財一覧

4 質の高い教育をみんなに11 住み続けられるまちづくりを
ページID:0004202 更新日:2022年12月6日更新 印刷ページ表示

 威徳山陀羅尼院総持寺(いとくさんだらにいんそうじじ)は真言宗豊山派の寺で、寺伝によると、正平年間(1346~1370)に慶範(栃木県足利市小俣町にある鶏足寺の尊慶の法弟)が、館坊・岩松真光寺・清泉寺の三ヶ寺を統合し、真光寺と称し、慶賢が総持寺と改称したと伝えられています。
 総持寺は、2町四方(一辺200m、総領家クラス)の鎌倉時代の新田館跡に建てられた寺で、別名を「館の坊」といいます。この新田館跡は、西の早川を背にして、三方を堀にした館跡で、東と西の一部に堀の跡が残っています。居住者は新田荘の立荘者で、新田一族の祖新田義重居館説、本宗家4代の新田政義の失脚後、一時期新田氏を代表した世良田頼氏(徳川義季の子)居館説、新田義貞居館説などがあります。
 境内には梵鐘(市重文)があるほか、8月1日には「義貞様」(新田義貞の木造)と伝えられた神像(市重文)を祀る行事があります。

彫刻

木造不動明王立像(県重文)

総持寺の木造伝新田義貞倚像(市重文)

工芸品

総持寺の梵鐘(市重文)

遺跡地

新田荘遺跡(総持寺境内)(国史跡)