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韮川ふれあいかるた解説 あ行
韮川ふれあいかるた 読み札一覧
あ行
青い目のアメリカ人形【所在:台之郷町999(韮川小学校)】
童謡「青い目をしたお人形はアメリカ生まれのセルロイド」と歌われた昭和2年。日米関係の悪化を心配した宣教師が友情の証として1万2千余体を日本に贈った。返礼として日本も58体の日本人形を贈った。
昭和16年の日米開戦を機に敵国の人形として大部分が処分され群馬には142体が配分されていたが現在は16体を残すのみである。
飯玉神社【所在:東金井町1096(飯玉神社)】
当社は、安産の守護神と称され、氏子はもちろん四方遠方から参詣する者が多かった。そのため、氏子内では古来難産に遭遇した人を聞かないという。
領主地頭職は時々交代があったと言われているが、皆当社を尊信し、毎年多少の金穀を奉納されていたという。中でも慶応年間、地頭野々山源八郎は石鳥居等を寄進された。
熊野山無量堂(無量庵)【所在:熊野町5(無量庵)】
この庵の名称は、「熊野山無量堂」と言ったが、現在は「無量庵」と呼ばれている。ご本尊は如意輪観音。ご詠歌に「熊野山おつる滝見の観世音み山にひびく音楽のおと」と詠われている。
無量庵の北と東側は墓地でお彼岸やお盆には参拝者が見られる。又、毎年四月の第一日曜日には戦没者の英霊の供養をしている。
永福寺の名号角塔婆【所在:東金井町7(永福寺)】
永福寺の名号角塔婆は台上に建てられているが、これは後に補われたと考えられる。南と北の二面には「南無阿弥陀仏」の六字名号が刻まれている。
名号角塔婆は浄土信仰に基づく供養塔で太田市北東部から大間々にかけての限定された地域に建てられている。この時期は鎌倉時代から南北朝にかけてと考えられる。
韮川小学校の大楠【所在:台之郷町999(韮川小学校)】
韮小の校庭にそびえる楠。ここ数年、樹勢が衰えたため平成18年に樹勢回復の手当てをした。現在では枝葉も茂り元気を取り戻した。
韮小100余年の歴史を見守ってきた楠。なぜ小学校の校庭に残されたか確かなことは分からない。だが、楠の生長は遅いが大木になることから大器晩成の意味をもつ「楠学問」という言葉もある。学校にふさわしい木とも言える。