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韮川ふれあいかるた解説 ま行

4 質の高い教育をみんなに11 住み続けられるまちづくりを
ページID:0004309 更新日:2022年12月6日更新 印刷ページ表示

韮川ふれあいかるた 読み札一覧 ま行

読み札一覧 ま行

韮川児童館【所在:台之郷町1016(韮川小西側)】

 子供たちを迎えるのは入口のトーテムポール。韮川児童館は平成3年5月5日の「子どもの日」に開館。遊戯室にはトランポリン・卓球台等の遊具があり自主的に遊ぶことができる。
 育児の支援事業も行っており母親や幼児の姿が時々見える。開館時間は午前9時30分から午後6時15分。休館日は年末年始。

明光寺の観音様【所在:石原町374(明光寺)】

 昔、石原は川であったろうと言われている。通行には、舟で行き来していたことがあり、その安全を守るため舟に乗っている観音様を造り、明光寺に安置したと考えられる。
 その証に、上州山田郡石原郷に、十八番観世音の札所であったという木版が見つかり、今に引継がれている。そしてご詠歌にも「後の世は般若の舟にのりぬべしおがむ菩薩のちかいなりけり」とある。

小沼庄左衛門【所在:台之郷町1796(岩松寺内)】

 館林城主徳川綱吉(五代将軍となる)の頃、不作続きで農民の生活は苦しく、その上、重い年貢に不満を抱く農民たちを救うため、小沼庄左衛門を中心に18名の名主は訴状を作り江戸城に行き、年貢軽減の直訴をした。
 農民の願いは叶ったが直訴をすることは御法度で、18名全員は1676年重罪人として、日向の刑場で磔となった。

矢場新町【所在:矢場新町】

 昭和56年に町名の「矢場新町」と命名された。その翌年、昭和57年には356区画の分譲が始まる。現在では殆どの区画に家が建ち町は完成した。
 町を一見すると碁盤の目のようで整然としている。大通りの街路樹も大きく育ち町に彩りを添えている。

駒形石【所在:植木野町7(駒形小学校)】

 語源はいつの時代か定かではない。石には馬(駒)の蹄の模様があり、村の人々は不思議な石をいつの日から「駒形石」と呼ぶようになった。しばらくの間「雀神社」(植木野町)の境内に置かれていたが、昭和60年11月に駒形小学校の開講記念のシンボルとして移設され「駒形石の伝えの碑」と共に現在に至る。