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(尾島地域) 縁切寺満徳寺資料館~永徳寺~二体地蔵塚

縁切寺満徳寺資料館

縁切寺満徳寺  江戸時代、満徳寺は鎌倉の東慶寺とともに、世界で2つしか存在しなかった縁切寺で、尾島地区の徳川にあります。
 この満徳寺は、徳川氏始祖の徳川義季(よしすえ)の娘浄念尼(じょうねんに)の開山による尼寺です。

 江戸時代、一度嫁いだ女性は、たとえ夫と不和を生じて実家へ戻っても、夫からの離縁状がなければ再婚することができませんでした。そこで、離婚を求めて駆け込んだ妻を救済し、夫との離婚を達成させたのが縁切寺でした。入寺後25ヶ月間寺で生活すると夫に三くだり半(離縁状)を書くよう要求できました。
 満徳寺が縁切寺の特権を持つようになったのは、徳川家康の孫娘千姫にかかわる由緒によります。千姫は、豊臣秀頼に嫁ぎましたが、大坂城落城後、豊臣家と縁を切り本多家へ再嫁するため、満徳寺に入寺したと伝えられています。
 遺跡公園には、本堂や駆け込み門も復元され往時を偲ぶことができます。また、遺跡公園に隣接した資料館には、三くだり半や縁切り文書をはじめ、徳川歴代将軍の位牌などが展示されています。

満徳寺ホームページ http://www8.wind.ne.jp/mantokuji/

永徳寺(さつき寺)

さつき寺  縁切寺満徳寺資料館からすぐ南には、別名『さつき寺』と呼ばれる永徳寺があります。開山は宥海(ゆうかい)で、大同年間(806~810)の草創といわれ、その後、この地に義季が住居を移すなど徳川家とのかかわりが深いため、江戸時代には朱印地を与えられました。
 春には境内一面に、さつきが彩り鮮やかに咲き乱れます。

二体地蔵塚

二体地蔵塚  新田氏は新田荘を根拠地とし、源義家の血筋を引く由緒ある家柄です。義貞は南北朝時代、楠木正成、足利尊氏とならび、当時を代表する武将として数多くの足跡を残しました。
 世良田駅の南東約1kmにある二体地蔵塚には、2体の地蔵様が祀られています。この地蔵塚のいわれは元弘3年(1333)、鎌倉幕府が西国の乱を鎮めるために兵を派遣することになり、関東地方から臨時税を取りたてました。
 特に世良田には裕福な者が多いとして、他に比べて多額の税を出させるため、出雲介親連(いづものすけちかつら)と黒沼彦四郎が多勢の家来を引き連れて乗り込み、税を要求しました。新田義貞は法に過ぎた仕打ちであると怒り、直ちに家来に命じて出雲介を捕え置き、彦四郎の首を切って、ここにさらし首にしたということです。

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