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『太田かるた』絵札・読み札一覧ま行

ま行
絵 札
読み札
解  説
満徳寺は、徳川町にある時宗の寺で、新田義季を開基とし、義季の娘浄念比丘尼が開山したと伝えられる古寺です。以後、新田一族の子女が住職となっていましたが、新田氏の衰退とともに荒廃してしまいました。天正十九年(一五九一)徳川家康より朱印地一〇〇石を拝領し、尼寺としての経済的基盤を確立しました。また、満徳寺は鎌倉の東慶寺と並んで、「縁切寺」とも「駆込寺」ともいわれ、江戸時代に離婚を求めて駆込んだ女を救済して、離婚を達成させた庇護所でした。縁切寺は、特異な制度で、日本にしかなく、世界に二つのものなのです。
呑嶺山明王院安養寺は真言宗の寺です。創建は康平四年(一〇六一)、後冷泉天皇の勅宣により、頼空上人を開山とし、源頼義が 開基したと伝え、新田義重を中興とする古刹であり、「新田触れ不動」としても知られています。元弘三年(一三三三)、新田義貞が鎌倉幕府倒幕の挙兵に際し、不動尊が山伏に化身して越後一帯の新田一族に挙兵のことを一夜のうちに触れ歩いたと伝えられています。境内には、三棟造りの山門・本堂・触れ不動を安置する不動堂・千体不動塔や脇屋義助を弔う板碑などがあり、新田荘遺跡の一つとして国の史跡に指定をされています。
昔から、「お年寄りの知恵袋」といわれるものには暮らしに役立つものがたくさんあります。これらの知恵は決して古びることなく時代を超えて受け継がれた衣、食、住などの色々な暮しの工夫や教えがあり、現代生活にも活かされています。旧太田市においては、昭和五十八年、太田市老人クラブ連合会が「昔と今の話」という、老人の知識や経験をまとめた一書を出版しています。
やぶ塚温泉は古くから開かれたと伝えられ、源泉は岩石の間から湧き出す冷泉で、温めて入浴すると諸病に効能があるといわれます。新田義貞が入浴したとの伝説もあります。泉質は炭酸泉で、特に水痘、梅毒、痔疾などに効能があるといわれています。浴場が設けられたのは元文年間(一七三六~四一)で、文化年間(一八〇四~一八)頃には湯治客でにぎわうようになり、特に大正二年(一九一三)東武鉄道藪塚駅の開設後は、東京近郊のお客も増えて発展しました。
元亨元年(一三二一)新田義貞が国家動乱鎮護の念から開いた精神作興の道場が基とされています。延元三年(一三三八)に戦死した新田義貞の菩提を弔うため応永五年(一三九八)岩松満純が諸堂を建立したといい、寺号は義貞の法名「金龍寺殿真山良悟大禅定門」にちなんだものです。応永二十四年(一四一七)には、金山城主横瀬貞氏が越前国(福井県)から義貞の遺骨をこの地に移して廟所と定めました。寺は寛延二年(一七四九)に再建のものです。本堂裏手には、市指定重要文化財の「金龍寺由良氏五輪塔」及び「新田義貞公供養塔」があります。

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