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休泊行政センター|龍舞駅

11 住み続けられるまちづくりを
ページID:0003928 更新日:2023年1月30日更新 印刷ページ表示

龍舞駅の画像1

軍靴の響き渡る昭和13年(1938年)。中島飛行機では海軍からの要請で、海軍機体工場を建設する計画が持ち上がった。大泉町(当時は小泉町と大川村)の小泉製作所計画だ。

龍舞駅の画像2

小泉製作所の建設に合わせ、周辺は続々と従業員の住宅が建設された。従業員輸送のために太田から小泉まで鉄道が建設され、東武鉄道西小泉駅が新設された。昭和16年頃のことだ。

龍舞駅の画像3

小泉製作所は「97式艦上攻撃機」をはじめ、「零戦」や「月光」「天山」「彩雲」「銀河」など海軍の名機を続々と生産、終戦になるまで約9,000機が生産されたという。

龍舞駅の画像4

太田と小泉のちょうど中間に当たる龍舞も、駅の誘致運動を繰り広げ、地元の有志たちは無償で土地を提供、昭和17年5月、その努力が実った。一面、雑木林の中を切り拓いて線路が敷かれたわけだが、現在ではその風景は想像もできない。

龍舞駅の画像5

この龍舞には、近代農政の先覚者、武藤幸逸がいる。天保9年(1838年)に桐生町で生まれ、3歳の時に龍舞村に住む伯父の武藤幸助の養子となった。
農業振興のため、技術や経営指導を行う傍ら、農業の合理化と経営の安定のための組織づくりに情熱を燃やした。

龍舞駅の画像6

それは、現代の農協の前身である農会という組織。地域や県や全国の農協の創始者として活躍した。
また、県議会議員として県政に参画。大正3年(1914年)、77歳で永眠。龍舞の正運寺に、農業に人生を捧げた幸逸の墓がある。