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休泊行政センター|塚廻り古墳

4 質の高い教育をみんなに
ページID:0003924 更新日:2023年1月30日更新 印刷ページ表示

塚廻り古墳の画像1

埴輪はやさしい顔立ちだ。龍舞地区に史跡公園となった塚廻り古墳がある。昭和48年、水田の区画整理のための排水用の水路を掘っていたところ偶然発見された。

埴輪の画像1

この古墳から304本の埴輪が出土。それらは復元整備され、その模造が元のように並べられている。
朝顔が咲くような円筒形や飾り馬。古代人の様々な姿が興味深い。左手を横に伸ばし右手を腰に当てる女性は、まるでファッションモデルの自慢そうな姿だ。帯のようなものを斜めにかけたすまし顔もある。坏を捧げる女性の姿が微笑ましい。

埴輪の画像2

中央に正装して腰掛けているのが首長なのか?
まさに、その時代のドラマ。想像はいくらでも広がっていく。「この集団は埴輪祭式を表現したもの」と考えられている。

馬型埴輪の画像

築造は6世紀中頃と推定されている。昭和52年9月20日、曹源寺(さざえ堂)が県の指定重要文化財となった時に、「塚廻り古墳群第4号古墳」として、県指定史跡となった。4号古墳は、帆立貝式で主軸の長さは22.5メートル、後円部の直径は17.7メートル。前方部は西に向いている。

太刀を持つ巫女の埴輪の画像

このような帆立貝形の古墳は6世紀前半から多く造られるようになった。村の有力者層にも普及し、後に一般家庭の家族墓として定着したという。特に、村の社会を維持する祭りを表現する形で、埴輪人物像等が古墳に並べられるようになった。

塚廻り古墳の画像2

そして仏教の伝来とともに寺院が建立され、新たな古墳は築造されなくなるのである。