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高山彦九郎日記「利根路の秋旅」

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ページID:0004164 更新日:2022年12月6日更新 印刷ページ表示

高山彦九郎は上野国新田郡細谷村(現群馬県太田市細谷町)で生まれた、江戸時代中頃の勤王思想家で、幕末の勤王の志士たちに大きな影響を与え、明治維新を導いた人物です。
生涯を旅に過ごし、京都・江戸・郷里を拠点に全国各地を遊歴、公家・武士(大名・家老・諸藩士など)・学者(国学者・儒学者・蘭学者など)・文化人(画家・歌人・俳人など)・剣術家・神官・商人・農民など様々な階層の人々と交流、その様子を地域の歴史・地誌・習俗・民情などとともに克明な日記に記録しています。
「利根路の秋旅」は、彦九郎が、曾祖父蓮沼新五右衛門政房の法事で帰郷していた大叔父石井相馬政重に同行して、利根川、江戸川を舟路で江戸まで送った後、江戸に5日間滞在し、中山道を陸路で帰郷するまでの7月8日~7月22日の15日間を書いた日記です。江戸では、短い滞在にもかかわらず、儒学者の細井平洲や菅野綸斎と親交を深めています。
特に、利根川の出来島河岸(埼玉県熊谷市)から日本橋小網町(東京都中央区)に至る船旅が鮮明に描写されており、彦九郎の目に映る情景を感じ取ることができます。残された彦九郎の日記の中で、水路を利用した数少ない旅の日記になります。
巻頭言は、徳川篤敬(水戸徳川家13代当主)により書かれています。また巻末に、長久保猷(長久保赤水の子孫・明治24年7月書)による序、寺門謹(會澤正志斎の甥・明治24年8月書)による跋、藤田健(藤田東湖の次子・壬辰夏日・明治25年夏書)、内藤耻叟(弘道館教授)による奥書があります。
いずれも旧水戸藩関係者であり、装丁した台紙に直接書かれていることから、明治24(1891)年7月以前に日記「利根路の秋旅」が現在の形に装丁されたことが推定できます。
「利根路の秋旅」は、天保6年(1835)、桜任蔵(水戸藩士)が武州台村(熊谷市妻沼台)の剣持家(高山彦九郎の叔父剣持長蔵の子孫・彦九郎の遺品を伝える)から譲り受け、その後、原田家を経由して藤田幽谷の手に渡り、幽谷の孫である藤田健の所有になった後、近年になり、京都の古書店が入手したものを、平成19年に太田市が購入したものです。この日記は『高山彦九郎日記』に収録されておらず、その存在は知られていませんでした。

高山彦九郎の概要と関連する指定文化財一覧
表紙の画像
表紙
「利根路の秋旅」表紙の画像
「利根路の秋旅」表紙

指定区分 重要文化財[古文書]
指定年月日 令和元年7月10日
所在地 太田市細谷町1324-7(高山彦九郎記念館)