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十二所神社の木造神像

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ページID:0004175 更新日:2022年12月6日更新 印刷ページ表示

十二所神社の神像  十二所神社(じゅうにしょじんじゃ)は、国史跡「新田荘遺跡(十二所神社境内)」内、円福寺本堂の西、茶臼山古墳の後円部墳頂近くにあります。創建された時代は不明ですが、間口2間、奥行3間の本殿の中に国常立尊(くにのとこたちのみこと)など16体の神像が安置されています。ともに30cm弱ほどの木彫一木造りで、胡粉(ごふん)を塗った後に彩色がほどこされています。16体のうち5体に正元元年(1259)銘があり、市の重要文化財に指定されています。
 また、1体の背面上部に「阿岐(あき)天神」、背面下部の左右に「右志者為阿闍梨静毫(あじゃりじょうごう)」「現世安穏後世善処往生極楽也」、中央に「正元元年己未十月五日」の刻銘があり、日付の下に花押(かおう)が刻まれています。銘文に見られる「阿闍梨静毫」は、新田政義により仁和寺(京都市右京区御室)から招かれた円福寺開山とされ、神像が静毫自身により生前の安穏と来世の安楽を祈って造像奉安されたと推定されます。神像は神仏習合思想の影響により崇拝の対象として作られたものです。
 平安時代は神仏習合が進み、中世に入ると日本の神々を仏教の如来や菩薩の権現とする考えが一般化し、神殿内に仏を安置し、寺院境内に神々を祀ることが普及しており、ここにもその一端を伺うことができます。

十二所神社の概要と関連する指定文化財一覧

指定区分 市指定重要文化財[彫刻]
指定年月日 昭和50年9月22日
合併に伴い、平成17年3月28日に改めて
新市の文化財として指定されました
所在地 太田市別所町599 十二所神社