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新たな国指定史跡 「 上野国新田郡庁跡 」

 太田市天良町内の宅地分譲の開発に伴って、太田市教育委員会が平成19年5月7日から確認調査を行った 「 天良七堂遺跡 ( てんらしちどう いせき ) 」
 そこで発見された 新田郡衙 ( にった ぐんが )の郡庁跡 ( ぐんちょう あと ) が、新たに 「 上野国新田郡庁跡 (こうずけのくに にったぐんちょうあと) 」 として国史跡に指定(平成20年7月28日)されました。

 ちなみに 「 郡衙 」 とは “ 古代の郡に置かれた役所 ” で、 「 郡庁 」 とは “ 郡司が儀式や政務を行うところ ” です。


こうずけのくに にったぐんちょうあと くうさつ

「上野国新田郡庁跡」空撮
(後方に赤城山を望む南からの全景)





発掘調査状況


郡庁の西側建物跡 【 西側掘立柱建物跡(1・2号)検出状況 】

 建て替えられた長さ50m規模の建物跡。
 人が立っている方が「古い時期」の建物跡です。
 丸い白線は、 “ 柱を設置するときに掘られた穴 ” で、大きさは古い時期のもので1.5~2mもあります。
 柱の太さは現在の「電柱」と同じくらいです。


郡庁の東側掘立柱建物跡 【 東側掘立柱建物跡(3・4号)検出状況 】

 ほぼ同じ位置で建替えられた建物跡。
 2列の柱穴で構成され、両端の柱穴は3つ並びます。
 柱穴部分は見やすいように、やや浅く掘りくぼめています。


郡庁の南側掘立柱建物跡 【 南側掘立柱建物跡(5号)検出状況 】
 古い時期の建物跡の一部が確認されています。新しい時期の建物跡などは、南に接している道路の下にあると推測されています。ちなみに道路は、主要地方道足利・伊勢崎線です。


掘立柱建物の柱穴土層断面 【 南側掘立柱建物跡(5号)柱穴土層断面 】

 穴の底に置かれているのは、柱を載せていた「 礎板石 ( そばんせき ) 」。


郡庁の北側掘立柱建物跡(石敷あり) 【 北側掘立柱建物跡(6・7号)検出状況 】

 北側の掘立柱建物において、始めに作られた建物(6号)の前面には石が敷かれていました。
 その後、建物(7号)の建替えにより、石敷きは壊されていました。石敷き内の丸い穴は、石敷きがあったところに立てられた柱の跡です。


郡庁の1号基壇建物跡の版築 【 1号基壇建物跡の版築 】

 郡庁跡の中央に存在する1号基壇建物跡は、土を上から突き固める 「 版築 」 という技法が使われています。
 この建物は使用時期が不明であり、四方の掘立柱建物とは時期が異なる可能性もあります。





新田郡庁跡の特徴



 奈良・平安時代(7~9世紀)に造られた新田郡衙の郡庁跡が、ほぼ全体のわかる状態で発見されました。

上野国新田郡庁の建物配置図  その構造は、50mにも及ぶ長大な掘立柱建物を東・西・南・北に「口」の字状に配置し、周囲には柵をめぐらせ、全体を正方形に近い形に造っています。( 復元想定図参照 )東と西と北に配置された建物については、建替えが確認されています。

 通常の郡庁の大きさは、四角に囲まれた一辺が50mほどの大きさであるのに対し、新田郡衙の郡庁は一辺90mを越す郡庁となります。この規模は現在のところ郡庁としては全国で一番の大きさになります。


   黄色 : 第1・2段階の建物配置

   青色 : 第3・4段階の建物配置

   橙色 : 第5段階の建物配置

   赤色 : 区画に関係する溝と中央の建物跡

新田郡衙郡庁の建物図

新田郡庁の復元想定図

 新田郡衙の郡庁の建物配置については 『上野国交替実録帳 ( こうずけのくに-こうたいじつろくちょう ) 』 の記録とほぼ一致しており、今回の調査で文献の記録が実証されたことになります。

 遺跡の位置からみると、東500mに新田郡の郡寺と推定される 「 寺井廃寺( てらい - はいじ ) 」 が所在し、南には 「 東山道駅路 ( とうさんどう - えきろ ) 」 が通過することが想定され、さらに周辺から 「 唐三彩 ( とうさんさい ) 」 なども出土しています。奈良・平安時代の太田市において極めて重要な地域であったと考えられています。


 → 新田郡庁跡の周辺(pdfファイル 約1.5MB)

新田郡衙郡庁の復元想定図

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